「革命の輸出」という罠

そもそも、なぜアメリカはイランと争う必要があるのか。

現在のアメリカ・イスラエル対イランの衝突を、単なる「核開発」や「航行の自由」を巡る局地的な対立と見るのは拙速だ。この対立の本質は、1979年の建国以来、イランのイスラーム体制が国是として掲げてきた「革命の輸出」という現状の国際秩序に対する変更工作にある。

アメリカが核問題やホルムズ海峡の航行の自由と並べて突きつけた「代理勢力への支援停止」という要求は、イラン政府にとって単なる政策変更ではない。

1979年、イランはパフラヴィー朝の王政を倒し、シーア派宗教学者が国家を治めるイスラーム体制を築いた。そのイスラーム革命の理念と体制モデルをイラン国外にも広げ、特に抑圧された人々のための普遍的な運動として位置づけて、中東のパワーバランスを根本から覆すことを画策した。そして、この理念をイラン革命防衛隊、特にその精鋭部隊である「コッズ部隊」を通じて具体化させてようとしてきたのである。

1982年、革命防衛隊は内戦下にあったレバノンでヒズボラを結成し、シリアのアサド政権やパレスチナ自治区でイスラエルに抵抗運動を行うハマスへ支援を行い、「抵抗の枢軸」と呼ばれるネットワークを築いてきた。抵抗の枢軸はイランの力による現状の国際秩序変更のフロントラインとして機能した。

レバノンがイランの「操り人形」になったワケ

革命防衛隊はハーメネイ最高指導者の後ろ盾も得て、イラン国外で軍事活動のみならず、建設事業や貿易など経済活動も行う軍産複合体として成長した。国外に革命の輸出を進めることで存在感を発揮し、国内での予算獲得枠の拡大をも正当化してきた。

その後、ヒズボラはイランの支援を受けて成長し、内戦が続くレバノンで草の根運動的な慈善活動も並行して行ったため、現地で一定の支持を獲得した。ヒズボラ出身者もレバノン国政に進出し、ヒズボラはレバノン国家の中の国家と評されるほどの存在感を見せるようになった。

こうしてイランは正規国家の外側にヒズボラという独自の軍事・政治・社会サービス網を作ることで、国家の一元的主権を弱め、レバノンの実質的な支配権を手に入れたのである。

2023年5月21日、レバノンの過激派組織ヒズボラの戦闘員たちが、レバノン南部のジェジーン地区にあるアラムタ村で訓練を実施した
2023年5月21日、レバノンの過激派組織ヒズボラの戦闘員たちが、レバノン南部のジェジーン地区にあるアラムタ村で訓練を実施した(写真=タスニム通信社提供の写真/tasnimnews.ir/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons