臨床教育を疎かにする現代の大学

本来、医師国家試験は入学試験ではなく、単なる資格検定試験である。資格検定試験には大学で勉強していれば身につく範囲内の問題が出題されるので、普通に勉強していれば試験準備は不要である。

しかも医師国家試験は100点満点で70点取れば合格である。大学の卒業試験を合格しているなら、当然、医師国家試験にも合格するはずだ。不合格になるのは、大学の卒業試験を合格させたこと自体がそもそもインチキだったということである。

ところが留年させたくないため、大学側はともかく卒業させてしまう。私の学生時代の医師国家試験は、いまより出題分野が広範囲だった。基礎医学と臨床医学の問題に加え、いまはない臨床に関する数科目の面接試験もあった。

私の場合、網膜症の眼底写真解読、薬剤容量も含めたてんかんの診断と治療法が出題された。小児科に関する面接試験では、泣き止まない乳児の異変の原因について聞かれた。

乳児が泣き止まない原因の第一は空腹で、以下、衣服に刺さった髪の毛、涙による外耳道炎がいじどうえん耳介じかいを上にひっぱると余計泣く)、イレウス(腸閉塞ちょうへいそく:腸管麻痺や捻転ねんてんによる腸の内容物の肛門側への移動障害)という順番で答えるのが正解で、私はそれらへの対処の仕方を含めて答えた。

この程度の問題は、医学生なら普段の臨床教育を通して知っていて当然のことばかり。

医学部の学生グループを教える医師
写真=iStock.com/Hispanolistic
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「先輩」を失ったいまの学生は可哀そう

当時の大学には臨床経験豊富な教授をはじめとする先輩が大勢いた。私たちは連日、先輩方のもとでみっちり修行を積み重ねたので、わざわざ勉強し直さなくても問題なく合格できた。

坂本二哉『戦慄の東大病院』(飛鳥新社)
坂本二哉『戦慄の東大病院』(飛鳥新社)

それがいまの学生にできないのは、昔に比べて大学が臨床教育を怠っていることと、臨床教育ができる大学教員が減っていることが大きな原因だろう。その意味で、いまの学生は可哀そうだ。臨床教育ができる教員が減った背景は色々と論じられている。

東大は1960年代の大学紛争によって、教員の多くが後輩の教育に興味を失った。また患者の人権を重んじるあまり、教授が患者を診察する様子を学生に見せて診療技術を学ばせる臨床講義を止めてしまった影響は甚大じんだいだ。

「百聞は一見に如かず」なのに、それを放棄してしまったのだ。これらは多かれ少なかれ、すべての大学に当てはまる。このような歪んだ医学教育の中で育った医大生が、医師になってからどんな医療を行うのか心配である。

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