医学部の合格者は、本当に優秀なのか。元東京大学健康管理センター教授の坂本二哉さんは「単に試験に受かっただけの者は真のエリートではない。いまの歪んだ医学教育は、医療の質を根底から破壊している」という――。(第1回/全2回)

※本稿は、坂本二哉『戦慄の東大病院』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。

説明する男性医師の手
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです

仲間を拒む医学生が患者と向き合えるのか

「プライバシーを盾に自らの個人情報や家族構成、家族の職業を周囲に明かさない東大の医学生も増えている」(別の後輩教授の話)という話も聞いた。2年毎に改訂される東大学部生とOBの500ページもある分厚い鉄門俱楽部てつもんくらぶ名簿を見ると、姓名しか載せていない若手が増えていて、学年によっては4割以上が氏名以外を公表していない。

これでは名簿を発行する意味がないだろう。ちなみに私の記載は七行もある。

私は東大病院に勤務していた若い頃、医局の宿直室で仲間と雑魚寝する密な人間関係の中で鍛えられた。集団的交流の世界はややもすれば個人の自由を奪うものだがそうはならなかった。各医局員が高い矜持きょうじを持ち、お互いの能力に敬意を払っていたからだろう。

医局の後輩が先輩と討論で張り合い、先輩に先んじて新たな症例を発見することがあっても、全医局員は「羨望半分、祝福半分」の対応で人間的な禍根を残すことはなかった。

そうやって人間的に揉まれ、成長してきた私からすると、仲間と関係を断ち切り友人を作ろうとしない医学生が増えているのは大いに心配だ。彼らは将来、医者として患者と正しく向き合えるのだろうか。

「パワハラ」という言葉では括れない本質

いまとなっては、もはやカンファレンスで火花を散らす論戦を期待しても無駄かもしれないが、白血病の標本を見て「リンパ性か骨髄性か」を巡り甲論乙駁こうろんおつばく、激しい論戦を専門家同士が行った昔が懐かしい。

恥さらしであるが、入局3年目、若かった私は新任教授を迎えての最初の抄読会しょうどくかいで教授の意見を批判し、教授から直々に退局を言い渡されたことがある。

だが、「捨てる神あれば拾う神あり」で、教授にさとす方がいて半年後に医局に戻ったが、それからの4カ月はまさに地獄。毎日、教授の監視下、研究漬けの日々が続き、朝帰りは普通で、土日も研究を課された。

いまならばパワハラであろうが、この試練をくぐったことで私の運命は大きく変わった。私は教授が最も信頼する医局員の一人となり、国内外にはばたくチャンスにも恵まれた。人生の岐路にはこのようなことがあった方が良い。

苦あれば楽ありとか、艱難汝かんなんなんじたまにすとはよく言ったものだ。試験に合格したからエリートなのではない。真のエリートは、先見の明と目的に向かって一歩を進める気概を持ち、それを継続する力を持たねばならない。その意味で、現今のエリートと称する医学生の多くは真のエリートではない。