現場判断も「引率」も放棄した学校の責任
事故原因究明をする以前に、そもそもの運営の計画段階からかなりの杜撰さがあったといえるのではないでしょうか。
同志社国際高校の修学旅行全体の運営は旅行会社に委託していたということですが、事故が発生した平和学習プログラム「船で辺野古を海から見る」の一環として、生徒たちが抗議船に乗船する活動などは旅行会社を通していませんでした。高校の教員と以前から付き合いのあった船長で、今回の事故で亡くなった金井創牧師(71)に直接依頼していたのです。
会見では、金井氏が運営するボートが無登録だったこと、そのため今回の事故での保険や補償については何もわかっていないことも明らかになりました。修学旅行などの大規模な学校行事では、旅行代理店に運営を委託するのが普通です。
こうしたプロへの委託はその分コストがかかりますが、大きなイベントにおいてはきわめて重要なことです。プロとしての運営能力とノウハウを持っていることはもちろん、特に安全面においても重要な意味があるからです。
危機管理においては、ゼロリスクはあり得ません。「事故はあってはならない」はあくまで精神論に過ぎず、現実の危機管理、安全管理であれば、「事故は必ずある」ことが大前提です。だからこそ、プロ業者を委託することで、危険対策を「複線化」する意味があるのです。
イベント事では、どれだけ自分たちがその内容に精通していたとしても、プロにも参画してもらうことで、効率化と安全管理という2つのメリットがあります。
平和学習に潜む政治リスクと学校のプロ意識
業務に真に精通した担当者は、必ず計画時や予算時にそうしたリスクヘッジも含めた運営を考えるはずです。私も大学で学生を預かる立場にいますが、学校行事においては、自分たち教職員の目が届く範囲、管理ができる範囲を超える規模や内容であれば、必ず外部のプロの業者さんにも運営を依頼しています。
外部委託も含めて事業運営を考えることは、学校などの条件下では当然のことです。同志社国際高校の担当者と学校は、修学旅行という重大な行事において、本当にプロ意識を持っていたのか、その責任が厳しく問われるべきです。
そして事件後、ボートの大きさや波浪状況、運行事業者としての適正な手続きなど、さまざまな疑問の声が上がりましたが、何といっても今回の問題を炎上させた一番の原因は「政治リスク」ではないでしょうか。
修学旅行という学校の公式行事が、「平和学習」という名前で、政治的にはかなり議論を呼ぶテーマに設定されたことには、もともと大きなリスクを伴っていました。
辺野古の基地問題のように、賛否が激しく対立する政治問題において、今まだ意見集約ができているとはいえない「ホットすぎる政治テーマ」だと考えるべきです。こうした中で、一方の意見に与する活動団体の設備である「無届けボート」を平和学習として使うことに、今の環境であれば、もっと慎重になるべきでした。今回のような事故や何らかのトラブルがあった際には、炎上状態を呼ぶことは容易に想像できます。

