なぜマンガ編集部の暴走が起きるのか

ポケモン ピカチュウ・ニャースの大ぼうけん』を「小学一年生」で連載したふくやまけいこ氏は

《編集の人は仕事だから 売り上げが一番だけど/描いてる方は/売れなくてすまんと思いつつ/藤子先生から延々続く/マンガはええもんなんだって気持ちを/子供読者に伝えて来てて/延々続けて伝えて来たのに/わしらのお客さんに/(被害者にも読者にも)/なんてことしてくれてんの/って気持ちが一番強いと思う》

週刊新潮(3月19日号)によれば、このままでは女性誌などからスポンサーが引き上げ、フジテレビの二の舞になるのではないかと、小学館の関係者が憂えているという。

小学館は第三者委員会の調査報告を待つのではなく、会見を開いて、記者たちの疑問に答えるべきではないか。私はそう考える。

こうしたマンガ編集部の“暴走”がなぜ起きるのか。ここで、私の編集者時代を振り返って考えてみたい。

マンガ編集者が銀座のバーで飲むのをちょくちょく見かけるようになったのは、1980年頃からだったように記憶している。

それまでは私が所属していた週刊現代などの週刊誌編集者や小説雑誌の編集者が、打ち合わせと称してノンフィクション・ライターや作家を連れて飲む姿がそこここに見られた。

銀座には当時、「文壇バー」なるものがいくつかあり、作家たちの交流の場になっていた。そこの支払いは、それぞれの作家についている各社の編集者が払っていた。

夜の銀座花椿通り
写真=iStock.com/7maru
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銀座で見た「巨人の星」原作者のすごみ

クラブの隅の席でマンガ家や原作者と話すマンガ編集者の姿は、失礼ないい方になるが、われわれから見ると“場違い”な感じがしたものだった。

だが、『巨人の星』や『あしたのジョー』の原作者・梶原一騎氏は違っていた。

私は一度、今はない山王ホテルで当時、山口組よりも怖いといわれていた某組の組長と梶原氏が並んで話しているところに遭遇したことがあった。

組長のほうがカタギに見えたくらい、梶原氏は他を威圧する顔と雰囲気を持っていた。

銀座のバーで梶原氏の席だけはスポットライトを浴びたように見えた。われわれ週刊誌屋も梶原氏たちの集団を見ると、早々に店を出たものだった。

マンガ編集部、とくに「少年マガジン」は社の中でも特別な存在になっていた。「巨人の星」や「あしたのジョー」の連載が終わっても、次々に大ヒットマンガを創出し、集英社の「少年ジャンプ」共々、何百万という大部数を誇っていた。

そこで連載したマンガをコミックス(単行本)にし、初版何十万部、累積何百万部というマンガを量産していった。