人を斬るのが目的ではなかった

刀は古来、強い生命力が宿り、邪気を祓う力があるものだと考えられてきた。たしかに武器ではあるけれど、人を斬るのが目的の武器ではなく、神を守り、家を守り、自分や家族を守るための、いわば祭祀のための道具として人々は大切にしてきた。つまり「抜かない武器」だったのである。

日本人が刀をどれだけ大切にしてきたか。それは国宝に指定されている刀の点数を数えてもわかる。日本の国宝は主として「建造物」と「美術工芸品」に分けられる。前者は232件、後者は912件で(2025年3月現在)、後者のうち122件は日本刀が占めている。国宝全体で1144件だから、日本刀が占める割合は1割を超えている。

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戦国武将たちは、こうした名刀を必死に追い求めたが、それは武器として使うためではなかった。武将たちは名刀を戦場に持参した。しかし、それはむしろ祭祀のための道具としてであって、刀をとって見ることで心を落ち着かせ、さらには研ぎ澄ませた。戦場とは自分自身や一族ばかりか、家臣、さらには自分が治める領土の命運を決する場だったからこそ、刀がもつ「強い生命力」に頼ったのである。

もちろん、刀といっても名刀ばかりではない。実用が目的の、もっと簡素な刀もつくられていた。しかし、戦場でもそれらが使われるのは接近戦になってからで、使われるのは主に弓矢(のちに鉄砲)や、長い柄がある槍だった。合戦を描いた絵巻や図屏風には、刀を手にした武士や足軽が数多く描かれていることもあるが、あくまでも接近戦の描写だと考えられる。

また、接近戦であっても、長い太刀や大刀は、敵を斬るというより、叩きつけ転倒させる目的で使われたと考えられている。一方、短い脇差は、敵と組み討ちになったとき、鎧の隙間から突き刺したり、仕留めたのちに首を斬り落としたりするために使われた。

メインの武器は弓矢や鉄砲

歴史研究家で紀州雑賀衆の末裔という鈴木眞哉氏の『刀と首取り 戦国合戦異説』(平凡社新書)には、戦場で一番使われたのは弓矢、鉄砲の普及後は鉄砲だったと記され、同様の見解を示す研究者は多い。鈴木氏によれば、中世における武士の道では、弓術と馬術が重視され、そこに剣術は入らなかったという。

また同書には、戦国期の合戦における軍忠状(自分の軍功を報告し、後日の論功行賞の証拠にするなどした文書)など201点に記された負傷者の内訳を鈴木氏が調査した、非常に興味深いデータが載せられている。

それによると、負傷者1461人の内訳は、「矢疵・射疵」がもっとも多くて604人、次が「鉄砲疵」で286人、以下、「鑓疵・突疵」が261人、「石疵・礫疵」が150人と続き、「刀疵・太刀疵」は56人にすぎない。「切疵」の33人(刀による切り傷とはかぎらない)を加えても89人で、全体の数%にすぎない。

同書には応仁・文明の乱以前の軍忠状を調べたデータも載せられている。こちらでも負傷者554人の内訳は、「矢疵・射疵」が480人で、「切疵」の46人の10倍を超える。