母が亡くなるまで打ち解けず…
高市は高齢になった母親の介護もおこなった。
多忙な議員活動の合い間を縫って、家に帰って世話をした。
忙しい時は、平日の夜の最終の新幹線で奈良に帰り、翌朝一番目の便で上京することもたびたびあった。
弟の知嗣は、母の覚えも良いため、たびたび電話もしていたようだった。
だが、高市は母との電話はなるべく避けるようにしていた。
母親は、車椅子になっても喋りが達者で、説教されることも多かったからだ。
だが、母親が亡くなったあと、お参りに来た母親の友達から言われることがあった。
「お母さん、寂しがっていたよ」
今になって振り返ると、電話くらいすれば良かったと思う。
奈良に帰るたびに顔を合わせたり、介護支援サービスの対象外となることは高市自身がこなしていたが、家族同士の話はあまりできなかったという。


