父はトヨタ系列会社の営業マン
子供の頃の高市の人格形成に影響を与えた二人の人物といえば、やはり、父親の大休と母親の和子であろう。
父親の大休は、長女である高市のことをベタベタに甘やかして、溺愛して育てたといわれている。
弟で長男の知嗣に対しては、とても厳しかった父親だが、姉の早苗のことは徹底的に甘やかした。それだけ一人娘の早苗が自慢の存在で、可愛くてならなかったのであろう。
大休は、トヨタ系列の機械メーカーのサラリーマンだった。
西日本全土を統括する大阪の営業所に勤めていたため、夜中であろうが、休みの日であろうが、仕事の取引先で一たびトラブルがあると直ちに駆けつけた。
真夜中に自ら車を運転して、「島根県まで行ってくる」と言い残して、飛び出して行ったこともあった。
高市は、子供ながらに仕事熱心な大休の様子を見て、たびたび思っていた。
〈お父さんは、本当に責任感が強いんだな〉
そう思いながら、父親のことを誇りに思っていた。
父親はエンジニアではなく営業職だったが、取引先のことを何よりも大切にしていた。
営業マンだけあって、人あたりも非常に良かった。
「相手のことを認めながら、まず褒めて話をしろ」
それが父親の口癖で、のちに高市は政治家になってからも、たびたびアドバイスされたという。
自分の意見を言う前に相手の言い分を聞いて、それを理解してから、相手の良いところを尊重する。そのうえで自分の考えを伝える。
このような相手の心を傷つけないための配慮がいかに大切で重要なのか、大休は諭すように高市に語っていた。
熱血警察官だったパワフルな母
一方、母親の和子は、高市が物心ついた時には、奈良県警で「婦人少年補導員」として働いていた。
和子は、仕事はもちろん家庭のことにも熱心な母親であった。
育児や祖父の看病で大変な時期でも、重大な事件が発生した時には夜遅くまで働き、深夜に家事を完璧に片づけた。早朝から家族の弁当もつくってくれた。
職場には一番乗りで出勤し、同僚に気づかれることもなく、全員の机を拭いて花を生ける。それが「女性職業人」としての母親のこだわりであり、プライドだった。
弟の知嗣が生まれる臨月の時には、事件の容疑者を自ら追いかけて、大きなお腹で全力疾走していたことを、のちに母の同僚から聞くこともあった。
和子の活躍ぶりは、奈良県警において伝説として残るほどだった。
大休も高市も知嗣も、母親のことを「少しは手を抜けばいいのに」とぶつぶつ言いながらも、掃除や洗濯、食器洗い、祖父の世話などを手分けして、家族全員野球で頑張っていた。

