個人攻撃をしないのは母の教え

警察官だった母親の和子は、長女の高市に対してのしつけがとても厳しかった。

「他人様に絶対に迷惑をかけるな。もし、この家族のなかで誰か一人でも迷惑をかけるようなことをしたら、家族全員がお天道様の下を歩けない」

子供の頃から、たびたび言われた。

そして、政治家になってからは次のことをよく言われた。

「選挙では、決して個人攻撃をしないこと」

そのため、高市は選挙ではいつも対立候補の批判をせずに、自分の政策を淡々と訴えるスタイルを貫き通している。

「要領が悪い」と後援者らは嘆いていたが、今ではその愚直なスタイルを誇りに思っている。

高市は、服装も性格もとうてい「真っ赤なバラ」になれそうにないが、働く女性の先輩としての亡き母親を尊敬し、数々の教えに感謝している。

母親の和子は、平成30年(2018年)4月16日に、86歳で亡くなった。和子が他界した際、高市は、警察学校の教官だった時の教え子たちから届いた弔電を読んで、母親の仕事に対する愛情と責任感を思い知って、涙が溢れた。

大臣になっても母のビンタが

だが、実は、高市は母親から亡くなるまでに一度も褒められたことがなかった。国会議員になってからも、顔を見るたびに叱られ続けた。

閣僚の時は、滅多めったに奈良に帰れなかったが、たまに実家に帰るたびに説教された。

和子に対して、一言でも口答えをすると、ビンタをされたり、蹴られたりすることも当たり前だった。現在では、DV(家庭内暴力)という言葉があるが、当時はない。現職閣僚の時ですら、ビンタされることもあった。

母親と高市の間には、ある種の緊張関係があり、それは母親が亡くなるまで変わらなかった。

【図表1】高市早苗首相の年表
編集部作成