関東大震災で海底に沈んだ駅舎
次は、大正時代の水中遺跡のお話です。イセキと聞くと、縄文・弥生・古墳時代などを連想しがちで、「大正時代も考古学の対象なの?」と思う人もいるかもしれません。でも相模湾には、最近大きな注目を集めている大正時代の水中遺跡があります。そして、これからももっともっと重要になると考えられているのです。
神奈川県小田原市根府川の沖、水深10‐15メートルの海底に、大きなコンクリートの塊や金属片が散乱している場所があります。
この遺跡が生まれた日は、はっきりわかっています。1923(大正12)年9月1日と書けば、すぐに思いあたる人も多いでしょう。
この日、関東地方をマグニチュード7.9の大地震が襲い、根府川周辺で大規模な地滑りが発生しました。標高約50メートルの崖の中腹にあった根府川駅や停車中の列車、近くの集落は崩れ落ち、そのまま海に飲み込まれてしまいました。列車は引き揚げられたそうですが、駅舎などは残されたままとなりました。
この遺跡もダイビングショップに頼んで見に行くことができます。間近で見ると海藻などが繁茂していて、なんとか人工物には見えるのですが、どんどん自然に飲み込まれていっているかのようです。
水中に残された人々の痕跡は、どんどん劣化していきます。今から100年後にはほとんど失われているかもしれません。
「災害のメカニズム」を解き明かすカギがある
人類が作り上げたモノは、自然の力の前では無力です。大正時代であれば、写真とか図面などいろいろと記録されていると思うかもしれませんが、なかなか残っていないのです。
また、関東大震災の痕跡を直接見ることができる場所は、もうほとんど残っていません。開発(というか復興)のためには、がれきは撤去するのが当たり前。ここでは、たまたま水中にあったために撤去されずに残ったわけです。
忘れてはいけないのが、この場所だけで300人近くの尊い命が失われていること。水中では自分の呼吸音がよく聞こえるので、不思議と自分の内面に気持ちが向きます。遺跡の持つ意味、災害の痕跡を学ぶ意義をゆっくりと考えることができます。
この痕跡の存在は古くから知られていましたが、遺跡として捉えられず、水中考古学の手法を使った調査はなかなか実施されずにいました。
震災から100年が過ぎ、未来に残すべきものであるとの認識が高まり、調査が始まりました。まだまだ調査は始まったばかりですが、根府川駅舎の調査にはさまざまな可能性があります。
遺跡から災害のメカニズムを知ることもできるかもしれません。海底に広がるプラットフォームなどのがれきから、土石流のスピードや方向がわかるかもしれません。もしかしたら、がけ崩れの危険予知にも役立つかもしれません。
地震のメカニズムだけでなく、当時の集落についても語られずに忘れられた物語が埋もれているかもしれません。
若江島、残念石、初島、根府川……。相模湾周辺には、この他にもいくつか水中遺跡がありますが、これだけでも「身近な海にも、歴史の痕跡が残されているのだな」と感じることができたかと思います。
それぞれの時代が刻んだ「記憶」を、自分の足(とフィン)を使って直接確かめる旅に出てみませんか?



