江戸城を支えた石切り場

若江島の積石もそうなのですが、江戸城の石垣の石は、伊豆や相模国西部で切り出して江戸まで運んでいます。伊豆半島から小田原にかけては良質で加工しやすい石が多くとれるだけでなく、石切り場から海までの距離が短く、運びやすいのです。

今も、小田原城からちょっと山側に足を延ばせば、早川石丁場などの石切り場を見ることができます。早川という名前ですが、素早く石を運びだすのに適していたから付いた名前なのでしょうか。

石切り場では、大名の家紋を刻印した石を見ることができます。また、表面に「矢穴」が残る石を見ることもできます。石をまっすぐきれいに割る際に開ける、小さなくさび穴のことです。

残念石
筆者撮影
海岸に残された「残念石」。転載不可

このような矢穴を持つ石は、海岸や海の中に落ちていることがあり、残念石と呼ばれています。大きな石を運ぶ際に、なんらかの理由で事故が起き、残念ながら海に落としてしまうことがあるんですね。

これらの石は、よ~く観察しないと普通の岩にしか見えません。小田原周辺では、これらの残念石を、ダイビングポイントとして活用しているショップもあるようです。江戸城に使われるはずだった石を海の中で見る! 水中では光の屈折の関係で陸よりもモノが大きく見えますから、迫力満点です。

比較的浅いところにもありますので、初心者ダイバーでも見に行くことができます。どこに矢穴があるか、目を凝らしてみてください。

「三つ葉葵紋の瓦」を積んだ沈没船

もう一つ、江戸時代の水中遺跡を紹介したいと思います。現在、学術調査が進みつつある遺跡で、発掘調査が近い将来実施されれば大きな注目を集めることでしょう。

伊豆半島の離島、初島はつしまの沖にその沈没船はあります。17世紀中ごろに沈没した船だと考えられています。すり鉢などいろいろと積み荷はありますが、一番の特徴は瓦を大量に積んでいたこと。

その中には徳川の家紋「三つ葉葵紋」を施した鬼瓦があります。そのほか、平瓦や丸瓦などもあり、どうやら大坂で作られた瓦のようです。

この船は、幕府の御用船だったのではないかと考えられています。1657(明暦3)年の明暦の大火で江戸城の一部が焼失したので、天守を再建するために大量の瓦を運んでいたのではないかというのです。この沈没船のみどころは、積み荷がそのままドーンと海底に落ちているように見えること。

積み荷がバラバラに散乱することなく、そのまま船底の形を残しているかのようです。おそらく、瓦の下には船体が残されていることでしょう。この遺跡にはダイビングで訪れることができます。また、近年は水中考古学フィールドスクールが実施されていて、主に学生向けですが、水中考古学を実践で学ぶことができます。

いつまで開催されるかわかりませんが、国内の大学でも水中発掘の実技を学ぶ機会がほとんどないので、一生心に残る体験として、チャレンジしてみてはいかがでしょうか?