11世紀ごろの姿をそのまま見られる
その後1232(貞永元)年、執権北条泰時が港湾整備を実行しました。
伊豆や相模国西部から石を切り出して運び、石積みの護岸を造り上げます。港を作るのに1カ月を要しなかったといわれ、当時の技術力の高さがうかがい知れます。
若江島の石積みの港は、11‐12世紀の姿をそのまま見ることができる、珍しい遺跡です。福岡県の博多遺跡群からは、11世紀後半から12世紀前半に造られた護岸遺構が発見されていますが、埋め戻されて今は直接見ることはできません。
埋め立て地の多い日本では、港の遺構自体がほとんど残っていないのです。また、日本で石積みの港があちこちで整備されるようになるのは、もう少し後の時代となります。
江戸時代には若江島は「舟入石蔵」などの名称で知られ、漁船の停泊にも使われていたようです。
若江島の石積み遺跡をじっくり見たいという人には、訪れる前に入念なスケジュール調整を行うことをオススメします。普段は水没していてよく見えませんが、干潮の際に訪れると、驚くほど当時のままの姿を見ることができます。
まるでタイムスリップしたかのような……。とはいえ、潮位が低いときは潮干狩りなどのお客さんも多いので、季節も選んで行きましょう。とくに冬がおすすめです。
潮位が低い日と時間を見て、よく晴れた平日の早朝を狙ってみましょう。ハードル高い?
「皇居の石垣」はどこの石なのか
ちなみに、台風の後に砂浜を歩くと陶磁器のカケラがよく落ちています。若江島の港がどれほど有用に機能したかはよくわかっていませんが、『吾妻鏡(あづまかがみ)』には港に唐船が停泊していたという記述があります。
港ではおそらく高級な焼き物が多く扱われていたのでしょう。鎌倉に集められた輸入陶磁器類は、県立金沢文庫博物館などに展示されています。当時の大陸の技術の高さ、また鎌倉幕府の権力や財力も垣間見ることができます。
若江島と合わせて博物館を訪れてみてはいかがでしょうか。鎌倉の大仏もお忘れなく!
時代は飛んで、江戸時代。室町時代には京都に移っていた幕府が関東地方に戻ってきます。さて、将軍が住んでいた江戸城――今の皇居ですが――の石垣の石って、どこから運んできたのでしょうか? 皇居ランナーの方々にお伺いしたいのですが、あれだけの大量の石を運ぶのは相当大変だと思いませんか?
陸路では無理な話で、当時は船を使って運ぶのが常識でした。

