「相手の方が悪い」というすり替え

あるいは瞬間的な怒りに任せて攻撃した後、一時的に罪悪感のようなものを抱くこともありますが、すぐに「自分が怒ったのは向こうが悪いからだ。だから思い知らせてやったんだ」という自己認知にすり替わってしまいます。

怒っているビジネスマンたち
写真=iStock.com/Viktor Cvetkovic
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加害・被害という明らかに歪んだ関係性をつくっているにもかかわらず、それを自分なりの対人コミュニケーションの一環のように捉えているところもあるでしょう。

だから、「それはパワハラです」「モラハラです」などと、人から明確に「あなたの言動は歪んでいる。被害者がいる」と伝えられなくては、自らの異常な対人行動が日常化していることを自覚できません。

いや、現実には、伝えられても認めない人が多いのでしょう。

「話せばわかる」という常識が通用しないので、世間一般に公表されて人々の批判を浴びたり、懲戒免職などの罰則を与えられたりと、一定の強制力が働かない限りは、自らを省みることがありません。

そこまでされても頑なに「自分は悪くない」という認識が変わらない人もまた、多い。

自分の中では、ただ自分なりに親しく接していただけ、指導していただけ、誤りを正してあげようとしていただけで、悪いことはしていないはず。にもかかわらず、いきなり責められ、排除された。自分はむしろ被害者だ――と。

このように「自覚させること」からして難しいのが、いじめ脳の困ったところなのです。

いじめる人は「頭が悪い」のか

誰だってネガティブな感情が湧き上がることはあります。

たとえば「怒り」の感情から破壊的な衝動が生まれるのを感じたことがない人は、いないでしょう。それでも多くの人は、日々去来するさまざまな感情とうまく付き合いつつ、おおむね平穏な生活を守っています。

いじめ脳は、それが非常に苦手な脳と言えます。ネガティブな感情が湧き上がってきたときに、それをどう処理するか。カッと来て人を攻撃する。まわりのモノを破壊する。これは怒りをコントロールできていないということです。

先ほども述べたとおり、誰でもこうした衝動にかられることはあるものです。もし「怒りを感じる→攻撃・破壊」がパターン化しているとしたら、いじめ脳になっている可能性があります。

そもそも、「怒りを感じる→攻撃・破壊」になる場合と、ならない場合とでは何が違うのでしょう。

脳科学的に、このパターンに陥らない「脳の機序(メカニズム)」は2つほど考えられます。