堅実な資産形成をしたメリー

1955(昭和30)年ごろからだんだんヌードショーは下火になる。大きな要因はテレビをはじめとする新しいレジャーの発展だった。それでも踊り続けるメリーはいまやいっぱしの資産家で、1957(昭和32)年ごろのインタビューでは、貯金で建てたけいこ場を70万円で劇団民芸に売ったとか、明大前にアパートを持っていると言い、「次は郊外の住宅地に商店街を建設するつもりよ」と語った。

とはいえ、いかにメリーといえど続々とデビューする若いダンサーたちには勝てない。だんだん出番が減った。レッスンに力を入れ、高熱をおして出てみても注目を集めるのは新人ばかり。悔しさのあまり、屋上に上って空き缶を投げて憂さを晴らした。人気絶頂のころは子供の手をひく母親を見てあんな疲れた顔にはなりたくないと思ったが、なんだかうらやましく思えてきた。「自分は何をやってんだろう、なんて考えたりするのよ」。逆にいえば、世間並みの幸せが問題にならないほど、ショーの魅力は大きかったのだ。

引退後に50歳で結婚、没年不明

1961(昭和36)年6月にメリーは引退を決意する。ダンサーになって15年、日劇とは7年の付き合いだった。

その後、知名度を当て込んで秘書やバーのマダムに誘われてやってみたり、ショーダンサー養成学校で講師を務めたりした。

1976(昭和51)年には、日劇ミュージックホール開場25周年の同窓会に参加。メリーをはじめとする8人が「ヌードの殿堂」入りとなる。久しぶりに会った子連れで来たダンサーに「早く結婚して子供をつくったほうがシアワセよ」と言われたメリーは、この頃周囲の人に誰か紹介してほしいと言い回った。

その後、世田谷区三軒茶屋の「大栄荘」の大家として猫と暮らし、若柳流の名取になって老人クラブで踊りを教えていたが、1979(昭和54)年1月8日に10歳下のサラリーマン、渡辺光雄氏と念願の結婚。50歳の新妻となった。この年、甲斐甲斐しく家事をこなす傍ら、「環境を守る会」の理事も務めていると『女性自身』の取材で語っている。

メリーの没年は不明だが、少なくとも1986(昭和61)年までは存命だったことはわかっている。

「どっこいわたしは、メリーでなければできないものを舞台で一つ一つ征服してゆくのよ」。金のためではない、エロのためだけでもない、芸を磨くひとりの職人として歩んだメリー松原。「裸の女王」メリー松原の口癖は、敗戦から立ち上がり高度経済成長へと続く日本の歩みを表しているようだ。

・参考文献
橋本与志夫『ヌードさん』筑摩書房、1995年。田中小実昌、吉村平吉、正邦乙彦、樋口四郎、メリー松原「われら線中ストリップ派」『カストリ復刻版:戦後40年――発掘!戦後大衆雑誌=世相と風俗』日本出版社、1985年。丸尾長顕『女体美』五月書房、1959年。小柳詳助『G線上のマリア:ジプシー・ローズ・ブルーノート』現代史出版会、1982年。仲沢清太郎『はだか夜話』近代社、1955年。小沢昭一、深井俊彦「戦後ストリップ史I」『清談・性談・聖談そして雑談』白川書院、1974年。野一色幹夫『浅草 再版』富士書房、1953年。南博ほか編『芸双書 第3巻』白水社、1981年。向井爽也『にっぽん民衆演劇史』日本放送出版協会、1977年。加太こうじ『下町演芸なきわらい:戦後世代の芸能史』駸々堂、1984年。牟禮留壽「戦後派職業鑑」『官業労働』4(3)官業労働研究所、1950年3月。「ストリップ」『小説公園』1(6)六興出版社、1950年9月号。「ストリップこぼれ話」『夫婦生活』11(11)家庭社、1950年11月。木村毅『東京案内記』黄土社書店、1951年。新川吾郎「ストリップ総まくり」『青春タイムス』4(7)弘和書房、1951年7月。峰岸義一『千零夜』粋古堂、1952年。「ハダカ商売を裸にする その一」『真相』(75)真相社、1954年12月。斎藤憐『幻の劇場アーニー・パイル』新潮社、1986年。串田紀代美「アーニー・パイル劇場のステージ・ショウ」実践女子大学学術機関リポジトリ。村松道弥『私の舞踊史 ジャーナリストの回想 中巻』音楽新聞社、1992年。石崎勝久『裸の女神たち 日劇ミュージックホール物語』吐夢書房、1982年。桑原稲敏『戦後史の生き証人たち:12人の巷のヒーロー』伝統と現代社、1982年。藤田富士男『伊藤道郎・世界を舞う:太陽の劇場をめざして』武蔵野書房、1992年。新潟大学二十五年史編集委員会 編『新潟大学二十五年史 総編』新潟大学二十五年史刊行委員会、1974年。朝日新聞社会部 著『有楽町有情』未来社、1981年。泉沙織「戦後日本における「ストリップショー黄金時代」のバーレスク志向」東京工業大学、2022年。服部智恵子『バレエ花伝書:『服部ママ』口伝 バレエを愛するすべての人に』エー・アイ、1990年。参議院事務局記録部 編『貴族院速記練習所参議院速記者養成所五十年史』参議院記録部、1968年。秀ノ山勝一(元笠置山)、メリー松原「裸一貫・現代を生きる(対談)」『文藝春秋』28(3)文藝春秋社、1950年3月。長谷川敬「額縁ショー誕生 新宿帝都座」『東京物語昭和史百一景』時事通信社、1988年。「わが肌の瑞々しさ既に失われしが、わが心、いまだ乙女のときめき」『女性自身』1979年07月12日。佐藤文明「東京闇市興亡史」『創』(9)(71)。桑原稲敏「進駐軍への芸能慰安 渡辺プロのルーツ」『潮』(269)「芸能史を歩く 昭和22年1月」1986年2月8日付朝日新聞。丸尾長顕「裸舞姫行状記」『週刊読売』18(8)読売新聞社、1959年2月20日。「特別ワイド特集 額ぶちショーからファックショーまでを彩ったスターたち」『週刊現代』18(8)1976年7月1日。朝日新聞東京社会部OB会 編『青春社会部記者』社会保険出版社、1988年。「現代風俗解剖⑫ ハダカ興行師」『週刊読売』11(85)読売新聞社、1983年10月4日。「女剣劇時代」1951年9月29日付読売新聞。「ハダカで歩いた10年 伊吹まり代とメリー松原の場合」『週刊東京』3(37)(104)1957年9月14日。「◇新芽変り芽(写真付)=メリー松原」1953年5月8日付毎日新聞

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