ストリップショー掛け持ちで荒稼ぎ

どこに行っても大入り満員、1日に何回もショーをやり、終われば新しい演目の振り付けで、くたくたの毎日だった。そのうち矢野とトラブルになり、疲労とストレスをごまかすためにヒロポンを打ち始めた。当時は違法ではなかったために、ステージ前の景気付けとしか思わなかったが、もともと細身だったメリーはみるみる痩せ、病気になってしまった。

8月に松竹映画『裸の天使』に出演したものの、ショーは休みがちになり、結局ほぼ一年近い休養をとることとなった。矢野とは袂を分かち、休みの間に文化学院に通学、「服部・島田バレエ団」に入団してダンスの技を磨いた。

折しも、日劇小劇場は公職追放が解かれた小林一三が東宝に帰ってきたときだった。1952(昭和27)年1月のことである。