河内敏光(bjリーグコミッショナー)

かわち・としみつ 
1954年、東京生まれ。明治大学(77年卒)と三井生命でバスケットボール選手として活躍。77~80年、全日本男子代表。現役引退後、三井生命バスケットボール部監督に就任。93~96年、男子日本代表監督。99年、休部を機に三井生命を退職。2000年、新潟スポーツプロモーション(新潟アルビレックス)を設立し社長就任。04年、bjリーグコミッショナーに就任。05年、日本プロバスケットボールリーグ社長。

9シーズン目を迎えた日本初のプロバスケットボールリーグ「bjリーグ」が始まった。「ブースター」と称するファンは年々拡大し、今季のターゲットは「100万人」に置く。「リーグ運営は順風ですか?」と問えば、コミッショナーの河内敏光は笑った。

「みなさんが失敗したと思わなければ、失敗にはならないのです。(プロバスケリーグは)前例がないから、失敗したものがないのです。だから、失敗したと思わなければ失敗じゃない。“あきらめるな"“失敗したと思うな"と周りには言っています」

ポジティブ思考の塊である。現役時代は全日本メンバーとして活躍し、引退後、三井生命の監督、さらには1996年アトランタ五輪の日本代表監督などを務めた。2000年、クラブチーム「新潟アルビレックスBB」の運営母体の社長に就任し、地域密着のクラブ作りに奔走した。

2005年、企業スポーツのあり方に限界を感じ、プロバスケのbjリーグを立ち上げた。旧態依然とした体質を持つ日本バスケットボール協会から圧力を受けながらも、発足当初6チームだったリーグが、いまや21チームの人気リーグとなった。

日本協会のナショナル・バスケットボール・リーグ(NBL)と違い、bjリーグは「エンターテーメント性」を追求する。

「我々の理念のひとつは“アリーナ・エンターテーメント"。おカネを払って見にきてくれた人たちが、会場に入って帰るまで、トイレに行く間も惜しむぐらい、ずっと楽しんでもらいます。ざっと2時間半、日常とは違う異空間を提供するのです」

敵対関係にあった日本協会からbjリーグは承認され、選手たちに日本代表の道も開かれた。

わかりやすく、国内のトップリーグは1つになればいいのにと個人的には思う。確か2011年をめどに統合しようという動きもあったのだが、日本ならではの企業の論理が優先され、なかなかひとつにはまとまりきれていない。でも、やはり日本代表の強化を考えたら、リーグの一本化がマストではないか。2020年の東京五輪パラリンピックが決まったことだし、ここは「東京五輪でメダル獲得」とのターゲットを設定し、リーグの一本化を進めたらどうだろう。

「東京五輪がひとつのキーワードです」。有言実行。“行動の人"はそう、言う。「もう東京に向かって、7年間のスパンで考えないといけないでしょ。7年間、積み上げていけば、選手の力量は相当アップする。要は継続ですよ、継続」

リーグ統合の可能性と問えば、「僕らは全然、OK」と即答した。

「むしろ五輪に向けて、1つになろうぜ、と言いたい」

元気である。とても59歳には見えない。座右の銘が「常に夢を」。夢はリーグ統合、さらには日本代表の五輪メダルか。失敗したと思わなければ失敗じゃない。つまり、成功するまで続ければ成功となるのだ。

(松瀬 学=撮影)
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