美術の授業や吹奏楽部では輝きを見せたが
中学生になっても、やはり孤立してしまう。
「気がつくとどのグループからも排除されていたという感じでした。親しくなったつもりでいても、しばらくするとそれとなく無視されるようになったり、話に加わろうとすると皆が黙り、気まずい空気になったり……。おそらく、空気が読めなかったとか、気づかないうちに失言をしてしまっていたのかなと。『みんながこうしているから、私もこうすればいいんだな』と思ってした行動や発言が、実際はズレてしまっていたのだと思います」
一方で、美術の授業で描いたポスターで校内の賞や、市の絵画コンクールで特選を取ったり、吹奏楽部のコンクールで金賞を取ったりしたが、それらを両親に報告しても、「そんなことより普通の生活をできるようになってほしい」「忘れ物を何とかして」「朝ちゃんと起きられるようになりなさい」と言われるだけ。
「親としては『普通に育ってくれればそれでいいのに、なぜそれができないのか』という心境だったのではないかと思います。だんだんと呆れられ、諦められていったのが子ども心にもわかりました。水泳ができなければスイミングスクールに、勉強ができなければ塾にといった感じで、私を『人並みにするために』お金をかけてくれた部分もありましたが、今思うと対話のようなものはほとんどありませんでした」
「人並みになればそれでいい」というのは、「他に一切の期待をされない」ということでもある。
「部活や学校の活動で賞を取っても興味を持ってもらえず、『そんなことより』と言われるのは、手応えがなく、虚しいものでした」
中2になると、授業についていけなくなり、内申点が壊滅的な状況に。危機的状況を察知した両親は、学習塾に入塾させる。
「塾に通うようになってから、一時的に勉強にのめり込んだ時期がありました。成果が目に見えることにやりがいがあったのかもしれません。やればできるのだと誰かに認めてほしいという気持ちも、おそらくあったのだと思います」
成績はぐんぐん向上し、上の姉が卒業した、その地域で一番の進学校に合格することができた。ところが、合格発表を見に行った灰谷さんに、母親がかけた言葉は、「やっぱり落ちたんだろうと思った。まさか受かるなんて思わなかった」だった。
「見直したというニュアンスではなく、あくまでもまぐれのようなものだと思っているようで、喜んでいるふうでもありませんでした。期待されていないというか、信用されてすらいないんだな……と失望しました」
「誰にも期待なんてされていないから」
地域で一番の進学校に合格したものの、灰谷さんはだんだん授業についていけなくなっていった。そして新しくできた友人たちからも孤立するようになると、何もかもから意欲を失い、非行に走った。
「といっても喫煙やサボりくらいで、“非行の真似事”です。大学進学は、『どうせバカだから、誰にも期待なんてされていないから、大学には行きません』と進路指導で答え、就職活動もしませんでした。進学しない旨を両親に告げても、ため息をつかれるばかりで、考え直すようには言われませんでした」
高校卒業後はフリーターになり、ファミレスで働き始める。
「実家でフリーターをしていた時、長姉は1浪して東京の大学に、次姉は隣の県の短大に入り、家を出ていました。家に居続けている私に、両親がますます失望しているのを感じて居場所がなく、雇用の少ない田舎で一生ファミレスで働き続けるわけにもいかないと思った私は、『やりたい事』をでっち上げたんです」
灰谷さんは、20歳の時に両親を説得して、東京の映像専門学校に進んだ。しかしいづらくなった実家を出ても、居心地のいい場所は見つからなかった。
「ずっと“普通の人”の真似をして生きてきて、今度はクリエイターを養成する専門学校に行ったんだから、『クリエイターっぽくならないといけない』みたいな感じで広告制作会社に入社したのですが、結局どっちの真似もうまくいかず、社会人の真似さえうまくできませんでした……」
灰谷さんは、入社した会社で怒られるたびに、「私、ちゃんとやってるのになんで注意されるんだろう」「なんで私だけ仕事が回ってこないんだろう」と戸惑うばかりだった――。


