信長はまるで“スタートアップの経営者”
白石が信長を評したのは、まさにこの点だ。「やったもん勝ちだ! 成果が出たら報酬、出ないヤツはクビ!」こんなやり方で突っ走っていたら、反感を買ってコケるのは当たり前だろう。秀吉なんて、そんなヤツの尻馬に乗っただけじゃないか。白石の視点は、そういうことである。
とりわけスタートアップ企業では、こういうタイプの経営者を見ることが少なくない。
「悪用? ユーザーが勝手にやってることなんで。弊社のプラットフォームは悪くないです」
「うちのサービスがなかったら、もっと困る人が出るじゃないですか。多少のリスクは仕方ないですよね」
「『グレーです』って言うんですけど、弁護士は『違法じゃない』って。問題ないですよね?」
批判をまったく意に介さない。むしろ「既得権益の抵抗だ」と言い返してくる。
面白いのは、こういう経営者に限って、表向きは「既得権益と戦ってます!」とアピールしながら、裏では大企業や政治家と仲良くして社会的影響力を高めている点だ。規制当局に「イノベーションを阻害するな」と圧力をかけつつ、自分たちは業界団体を作って新規参入を妨げたりする。
そして何より厄介なのは、本人が本気で「俺たちは正しい」と信じ込んでいることだ。コンプライアンスを逸脱している自覚がない。いや、正確に言えば「これは逸脱じゃない。合理的な判断だ」と思っている。
だから、止まらない。
明智光秀は“合理性”に違和感を覚えたか
さらに、こうしたタイプは異論を唱える仲間のみならず、古参でもフィーリングが合わなくなったら切り捨てることを厭わない。だから、狂信的とまでいかなくとも、思想が似たような者ばかりが集まり純化していくことになる。
信長のやっていたことは、まさにこれである。こう考えると、本能寺の変が自業自得な必然だったことも見えてくる。
現代のスタートアップに置き換えて考えてみよう。
明智光秀は、信長の下で最も優秀な幹部の一人だった。能力を認められ、重要なプロジェクトを任され、結果も出していた。いわば、創業メンバーではないが「No.2」として急成長企業を支えてきたエグゼクティブだ。
だが、彼は次第に気づいていく。
「このやり方、おかしくないか?」
比叡山焼き討ち。一向一揆の皆殺し。次々と繰り返される「合理的な判断」という名の虐殺。光秀は教養があり、倫理観も持っていた。だからこそ、信長の「合理性」に違和感を覚え始める。
だが、組織はすでに純化している。異を唱える古参は切り捨てられ、残っているのは信長の方針に疑問を持たない者ばかりだ。

