「道徳が顧みられず、武力や策略に優れた者ばかり重用された」
江戸時代中期の朱子学者・新井白石は、著書『読史余論』で、さらに強烈に信長を批判した。
白石は「詐力」「詐術」という言葉を用いて、信長の勢力拡大を残忍かつ卑怯なものとして繰り返し非難している。そして、その批判は秀吉にも向けられる。
白石の視点から見れば、秀吉が庶民から天下人になったことを当時の人々は称賛したが、それは日本では珍しいだけで「時の運に乗せられし」に過ぎない。乱世で道徳が顧みられず、武力や策略に優れた者ばかりが重用された結果だというのだ。
甫庵も白石も、いずれも江戸時代になり戦乱が遠くなった時代の儒学者である。儒教的価値観から見れば、信長も秀吉も、乱世ならばこそうまくいったが、人間としては最低極まりない人物だったと考えていたわけである。
「やったもん勝ち」の経営方針
つまり、信長の勢力拡大のベースにあったのは「既成の価値観の打破」――と言えば聞こえはいいが、実態はもっと生々しい。混乱している。法も追いついていない。ルールが曖昧なうちに、多少の無茶をしてでもシェアを獲得してしまえ。それが信長の経営方針だった。
現代風に言えば、「リーガルチェックが追いつく前に市場を取れ」「グレーゾーン? 違法じゃなければセーフだろ」という発想である。
ここまでではないだろうが、現代でも、法的なルールなどが明確でないことを背景に、シェアを取った事例はある。電柱にケーブルを張り巡らせ、有線放送の市場を掌握した例。空き部屋を貸し出すという発想で、民泊市場を創出した例。インターネットの独占的な市場の開放を訴えて、既得権益を打破し、その後の競争環境が激変した例。
どれも、ルールブックが整備される前に市場を取りにいった。
信長のやっていることはまさにこれ。戦国の世であればもっと苛烈だろうし、いわば「やったもん勝ち」だったのだ。
もちろん、挙げた例はいずれも事業として成功し、現在は社会と折り合いをつけてコンプライアンスにも厳密な企業になっている。だからこそ「昔はすごかったよね」と笑い話にできる。問題は、その成功体験を引きずり続けることだ。「これがイノベーションだ!」「既得権益をぶっ潰す!」――そのまま突っ走れば、いつかは必ずコケる。

