「推しへの課金」に天井がないタイプ
八雲がやっているのは、まさにこれだ。
セツが「美しい、よい絵と思います」と答えた瞬間、「買いましょう」。早い。最初から買う気なのだ。「どう思いますか」は相談ではなく、セツに「よい」と言わせて既成事実を作りたかっただけである。あなたもよいと言った、ならば買うのは当然でしょう――明治の文豪も令和のオタクも、嫁の言質の取り方は変わらない。
しかも八雲はここで終わらない。「この価まだ安いです。もう少し出しましょう」。聞いてもいない値段を自分から上げていく。定価で買えるものにわざわざ上乗せする。俺はこの作品の真の価値をわかっている……という自負が滲み出ている。推しへの課金に天井がないタイプだ。
セツが「金に頓着なく買おう買おうとするのを、少し恐れて」と書いているのも見逃せない。よく読んでほしい。セツは「おねだん余り高いですね」と言っている。「買いましょう」とは一言も言っていないのだ。むしろ高いと止めている。それなのに夫が勝手に「買いましょう」と言い出した。私は止めましたよ?――という弁明が、行間からしっかり滲み出ている。
まるで“夫婦漫才”のやりとり
にもかかわらず、セツはこの話を怒りや嘆きとしては語っていない。「よいとなると価よりも沢山、金をやりたがったのです」。もう呆れている。呆れてはいるが、どこか嬉しそうでもある。この人は一度こうなったら止まらない、もう私にはどうしようもない。でも、こういうまっすぐなところに惚れたんだから仕方がない。
これはもう夫婦漫才である。ボケ倒す八雲と、ツッコミを入れつつも最後は「しょうがないわねえ」と笑って許すセツ。明治の松江から東京へ、この二人の掛け合いは生涯変わらなかったというわけだ。
しかも、この散財はまだ序の口だ。『思い出の記』には、ある時夫婦で浴衣を買いに呉服屋に出かけた時のことが書かれているが、こっちは絵画以上に強烈だ。
三十反。浴衣を三十着分である。驚いたのは店の小僧だけではなかっただろう。

