東大教授の疑問「信長はなぜ逃げたのか」
京都から福井に至るといったとき、敦賀と長浜の位置関係がみなさんの頭に浮かんだでしょうか。地理的な感覚を頭に浮かべると僕の疑問が腑に落ちると思います。
福井県の敦賀のすぐそばに金ヶ崎があります。そこはすでに朝倉領です。その南側に浅井がいます。小谷城があります。その東側の岐阜に信長は本拠地を持っていて京都を押さえています。だから、信長は京都と岐阜を行ったり来たりするときには、その中間地点である浅井を味方につけることで、いつ襲われるか分からないリスクを取り除き、その道の安全を確保したはずでした。
もう一度整理すると、京都から3万の大軍を率いて信長は、敦賀に向かって金ヶ崎城を落としました。そしてそのまま、越前平野を攻撃しようとしたところで、浅井の裏切りを知った。そこでいったん兵を引いて岐阜へ帰るためには浅井を蹴散らさないといけない。
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