バイトも続かない詩人との同棲生活
その人たちと一緒にフィレンツェで一番高級なレストランで食事をしたあと、家に帰るとガスも水道も電気も未払いで止められている。わけがわかりませんでした。貧乏必至の画家をめざしている自分がばかばかしくもあり、半面、なんとしても金に魂を売るものか、という意固地さでいっぱいでした。
そのころ、私は自称詩人の彼氏ができて同棲をしていました。詩人と絵描きの二人ですから経済生産性はゼロです。どちらもお金を稼げるあてがない。しかもこの詩人は、どんなアルバイトを試みても、どうして詩人である自分がこんな場所でこんなことをしなきゃいけないのかという自己葛藤に見舞われて、すぐにやめてしまうんです。
つきあい始めのころは、そういう特異な彼の性質も「おもしろい人だな」と思えていましたが、だんだんそんな寛大な気持ちは失せていきました。ただただ金を稼げない詩人に腹が立ってくるのです。私がガイドで稼いだお金でなんとか二人食いつないでいました。
同級生たちは就職して安定しているのに…
貧乏だったころに描いた絵がこれです。これは私の孤独感を顕在化している作品だと思っています。
フードをかぶって立っている男性は、ジャン・コクトーというフランスの詩人です。映画監督や画家という側面も持っていましたが、我が道を行く彼は私の尊敬する人でもありました。そして、奥にいる女性は1930年代のファッション誌か何かをモデルに描いた人ですが、この寄る方ない表情と佇まいは自分を投影していたのかもしれません。
このころ私は油絵科を専攻していたのですが、なぜか黒と白という二つの色でしか表現ができませんでした。色のある絵が描けなかった。色のある絵を描こうとすると、自分の心象風景とマッチングしなくて、気がつくと油絵ですら白黒ばかりになっていました。
お金もなく、将来の保障もない。経済的な困窮は実直に生きていく苦しさを容赦なく突きつけてきました。私の同級生たちがみんな順調に大学を卒業し、そこそこのお給料をもらえるところに就職をしている中で私は今日のご飯を買うお金もない。自由を選択したはずなのに、現実の厳しさにがんじがらめになっているのに、友人たちは会社という組織に帰属をしても、経済的な自由は保障されていました。

