細々と食べていければいいと思っていた
旅行ができたり、好きなものが買えたり、食べ物を買いに行ってもいちいち引き算をしないで買える。引き算をしないで買えるという意味がわかりますか? 2000円しか持っていないから、これを買ったらあと1800円、あと1600円と頭の中で計算しながら生活をする。子どものときも留守がちな母が置いていく1000円で夕食を買うのに引き算は慣れていましたが、まさかそれが20代半ばを過ぎても続くとは思ってもいませんでした。
詩人と私だけで生きている間は、別にそれでもよかったんです。そもそも絵描きや詩人なんていうのは貧乏が条件みたいなものですから、大変だけどみんなそうだったわけだし、耐えられるところまで耐えてやっていくしかないと思っていました。
バブルにあやかって、ときどきガイドや通訳など日本人相手の仕事をしていけば細々と食べていけるだけのお金にはなったので、そんな生活でも自由であることに越したことはないと受け止めていました。
27歳で妊娠を機に目が覚めた
ある日、そんな私の楽観的な考えを覆す出来事が起こりました。
27歳のときに妊娠をしたのです。冷静に考えてみたら、あのような貧しい状況で子どもが生まれても育てていける保証はありません。産婦人科の先生も私の事情を知っていますから、「今は厳しいから、出産はちょっと考えたほうがいいかもね」と助言し、私も同意見でした。
そもそも、子どものころの孤独や、イタリアでの経済的困窮に人づきあいの難しさも重なり、とても世の中を素晴らしいものなどと捉えることのできなかった私は、子どもを持ちたいと思ったこともありませんでした。
私と同じく、自分一人を生かしていくことにさえ辟易していた詩人も、やはり妊娠は喜ばしいことではなく、意気消沈していました。ところが、そんな詩人の弱気な様子を見た瞬間、突然私は出産を決意しました。いつまでも私の稼ぎをあてにしているこの人とはいいかげんに別れよう、という決意もそのときに芽生えました。
私は留学という自由を選んだけれど、その自由の中に潜んでいた経済的困窮にがんじがらめになっていて、だけどそれを絵描きだから仕方がないとあきらめて受け入れ続けていました。
