私たちにはまだ、設備と技術が残っている

会長だった父の博氏からは廃業を強く迫られた。それでも、浅野氏は断固として首を縦に振らなかった。それには、2つの理由があった。

ひとつは協力工場をどうしても救いたいという想いだ。協力工場の多くは浅野氏を信じて6000万円以上もする高価な設備を買っていた。浅野撚糸と同時期に導入していた工場はかなりの部分で投資回収が進んでいたが、導入が遅かった工場では借金がほぼそのまま残っていた。協力工場は夫婦で経営している零細企業が多く、行き詰まるのは必至だった。

もうひとつは、下請けの惨めさを痛感したことだった。取引先の商社から言われた通りに高価な設備を購入し技術を磨いたのに、海外でも同じような製品が作れるとわかったとたん、あっという間に仕事がなくなってしまった。