衆院選に向けて、鳴り物入りで結成された中道改革連合がまったくふるわない。なぜなのか。『平成史』などの著書を持つ評論家の與那覇潤氏は「ここ10年間の潮流への“アンチ”を打ち出さなければ、同党は浮上できない」という――。(取材、構成=ライター・島袋龍太)

平成末に「政権交代の物語」は失効した

久々に登場した「大規模新党」である中道改革連合の、苦戦が伝えられています。ネットの人気も“バズり”にはほど遠く、議席半減の予測まである。

なぜなのか。最大の理由は、日本の政治が「物語」を失い、「推し活化」したことです。

転換点は、今から10年前でした。2016年夏の参院選では、野党第一党の民進党を中心に、珍しく共産党も含めた共闘が成立。前年に高まった「安保法制反対」のデモも合流したものの、当時の安倍晋三政権に完敗しました。

このときを境に、政治のあり方が変わりました。「小異を捨てて大同につく」、今で言えば「違いを呑み込んで『中道』で結集するのが政治でしょう」といった感覚が、消えていった。

わかりやすい例は、2017年秋の衆院選です。小池百合子都知事が「希望の党」を結成して民進党を丸ごと吸収するも、本人が「排除発言」でつまずき大敗。むしろ、たった一人で結党会見を開いた枝野幸男氏の立憲民主党が、リベラル派の支持で野党第一党となりました。

“バズる”政治のあり方が、巨大与党である自民党に「対抗できる大きな塊を作る」ことから、むしろ100%自分にフィットする「特定の政治家個人を推す」ものに切り替わった。2019年の参院選で山本太郎氏がれいわ新選組を立ち上げたときの、結果(比例で2議席)に比して過大な支持者の熱狂ぶりを、思い出してもよいでしょう。

街頭で選挙演説をする候補者
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コロナ禍でドジった「リベラルの自殺点」

代わりに失われたものは、なにか。個人の好みを超えて、日本という国や社会の「全体」の流れを捉える物語を語れなくなりました。一党支配でなく「政権交代のある日本」を作りたいという、平成には広くアピールした訴えが、心に響かなくなった。

実態があるかはともあれ、令和に高市早苗首相をめぐる“サナ活”がPRされるのは象徴的です。目立った個人とファンとが気持ちの上でつながって、充足感を得る「推し活」が政治の場に座ってしまい、国や社会の形は議論されなくなっています。

誰がいつ、そんな状況を作ったのか。2020年からのコロナ禍での「リベラル派のオウンゴール」が、最大の主犯です。

当初、保守派の安倍政権は穏当な対策を模索しましたが、野党をはじめリベラル派は強硬な行動制限に傾いていきました。自粛が「本当に必要なのか?」を問うことなく、サブスクやデリバリーがあれば対人接触なんて要らない、その代わり「金を配れ!」と唱える姿勢がもてはやされました。