「推し活政治」があなたを豊かにしない理由
対する中道改革連合に、挽回の目はあるのか。共同代表の野田佳彦氏と斉藤鉄夫氏は、「推し活」の対象になるには高齢で渋すぎる。サナ活と同じ土俵で戦えば、敗北しかない。
反転攻勢のためには、むしろ「政治が“推し活”でいいんですか?」と問うことです。キャラに恵まれ「推してもらえる」ごく少数の人だけが、注目も、富も、まして権力も独占する社会。それを「やめるための選挙だ」と訴えてはじめて、結党の意義が伝わります。
実は「推し活」は構造的に、あなたから搾取するようにできています。ベストセラーを出しても印税は10%ですから、あなたが払ったお金の1割しか「推し」には入らない。YouTubeの広告収入となると、あなたひとりが「推し」にできる貢献は、もっと低い。
だから「推し」は必然として、ファンに対して「薄利多売」になります。ひとりひとりと丁寧に向きあい、時間を費やしたら本人が食べていけない。
総額としては多額の積極財政を政府が打ち出しても、それぞれの国民に渡るお金はわずかばかりなのと、まさに同じ構図です。
見直したい「2016年の政治映画」
中道改革連合が掲げるべきなのは、それとは異なる政治でしょう。目立った「誰か」を推して、自分の「代わりに」活躍するのを眺めて満足するのは、空しくないですかと。「あなた自身」が尊重される社会を作りましょうよと、呼びかけられるかどうか。
やはり2016年の公開だった『シン・ゴジラ』の主人公は、「推す」のに持ってこいのスーパー官房副長官。しかし本人だけでなく、地味すぎる裏方役の首相臨時代理や、政調副会長が支えてはじめて、政治は機能する様子を描きました。
ところが、そこから10年。「推し」の首相さえいれば、一般の国民は「モブ」(その他大勢)でいいんだと、素朴に信じ込む政治が始まっている。
それにストップをかけるための、宗教団体と労働組合――つまり「ふつうの人」が集まる組織どうしの連帯であり、「人間主義」の綱領ですよと。その訴えが支援団体の「外」にいる人にも響くとき、はじめて中道改革連合の側に風が吹くはずです。


