セツは必死に英語を勉強した
もちろんセツも、英語習得に励んでいる。熊本に引っ越してからの2年間、八雲がセツに英語を教えたとされ、松江市の小泉八雲記念館には、その時セツが使ったメモ帳が収蔵されている。そこに記されているのは、八雲の発音をそのまま片仮名で書き取り、横に日本語の意味を添えるという、涙ぐましい努力の跡だ。
Fire フワエラ 火
tired タエリダ たえぎ くたびれる
tomorrow トーマル 明日
Nothing is the matter ノオテン・エズデー・マトリ なんでもありません
(展示図録『小泉セツ ラフカディオ・ハーンの妻として生きて』2024年小泉八雲記念館)
八雲自身、ギリシャ生まれのアイルランド育ちで、10代の頃からはフランスの寄宿学校で教育を受けている。加えて、アメリカで長らく暮らしたのは南部のニューオリンズ。しかも、クレオール文化に親しんだという。つまり、教科書的な流暢な英語とはほど遠い、なまった英語だったはずだ。
「water(水)」は「ウォータ」、「oil(油)」は「アール」と発音される。「these(これら)」は「ディーズ」ではなく「デーズ」だ。つまり、セツが聞き取っていたのは、教科書的な流暢な英語とはほど遠い、かなりなまった英語だったはずだ。それをカタカナで一発書き取り。「フワエラ」にもなるわけである。
これは微笑ましいものではなく、セツが本気で英語を習得しようとした証拠である。現代なら、スマホアプリで何度でも音声をリピートしながら発音を確認できる。だが、それが可能になったのは1979年のウォークマンの発売と普及以降のことだ。
八雲は「正式な英語教育を諦めた」
それ以前、明治から昭和にかけての外国語学習者は、教師や外国人の発音を一度聞いたら、その場で、カタカナで書き留めるしかなかった。二度目はない。聞き逃したら終わりの真剣勝負だ。だからセツのメモは、英語習得に心血を注いだ努力の記録といえるだろう。その原動力は、やっぱり八雲への愛情だった。
そうしてお互いがお互いの言葉を理解しようとした結果、生まれたのが二人の間にしか通じない「ヘルンさん言葉」と呼ばれるものである。
これは、夫婦と子供たちしか理解しない、まさに愛が生んだ神秘の言葉であった。八雲の次男・稲垣巌は、こう記している。
日常の会話と申しましても夫人との間に於てのみ完全に通用する英語直訳式の一種独特の言葉でありました。私の兄は母に次いで中々上手でしたが、私も父の死ぬ1、2年前頃から言われる言葉を聴き分けることだけはできました。
(小野木重治編著『ある英語教師の思い出:小泉八雲の次男・稲垣巌の生涯』恒文社1992年)
興味深いのは、長男・一雄の証言である。
つまり、八雲はセツへの「正式な英語教育」を諦めたのだ。

