怪談話を書き留めるための“燃料補給”だったか
そんな八雲がビールを飲むのは、毎夕食の後。つまり、ビフテキ付きの洋食を平らげた後に、ビールを飲みながら白餡たっぷりの和菓子を5、6個つまむのである。
これは、食べ過ぎというより執筆活動を支えるエネルギー源だったのだろう。
考えてみれば、夕食の後は、セツから日本の怪談を聞き取る時間になることもある。妻が語る不思議な話に耳を傾け、それを英語で書き起こす作業は、相当な集中力を要したはずだ。
確かに、これだけの仕事をこなすには、しっかりとパワーをつけておかなければならない。仕事だけではない。屋敷に一緒に暮らすセツは23歳、八百は18歳である。
下世話な意味ではなく、どうしても生活のペースは若い二人に引きずられてしまいがち。40代半ばの八雲にとっては「おじさん、もう歳だからついていけないなあ〜」という場面も多かったのではないだろうか。
これもまた、相当なエネルギーを必要としたはずだ。中年になって衰えた体力をカバーするために、食事は必要不可欠な燃料補給だったのだろう。
ラフカディオ・ハーン(写真=ELIZABETH BISLAND著『The life and letters of Lafcadio Hearn』より/Files from Flickr's 'The Commons'/Wikimedia Commons)
煙を極端に嫌っていた八雲
しかし、月給100円の高給取りとはいえセツの家族には援助しなければならないことを考えると、一人で三世帯を養っているわけで、金が有り余っているというわけではない。セツと女中、二人も家事の担い手がいるわけで、食事くらい自宅でつくればよいと思うのだが、そうはいかない理由があった。
当時の煮炊きはかまどである。当然生じる煙を、八雲は極端に嫌っていたからだ。八百は、こう語っている。
もっと先生の嫌いなことは、割木をたいた時の煙は非常にお嫌いでした。そのために炊事は一切割木を用いませんでした。すべて木炭を使いました。朝の牛乳を温めますにも勿論炭火で、先生のお目覚め前に温めておきます。また午飯夕飯も他所より取り寄せましたのも、実は先生が焚き火を好まなかったためでもありました。ただ寒中は炭火で室内を暖めました。
煙が嫌いだから、毎日出前……。相当の出費をしてでも煙には我慢できないというのだから徹底している。煙嫌いはとにかく徹底していて、八百には風呂まで炭火で沸かすように指示していた。当然、炭火なんかではぬるいお湯にしかならない。結果、いつも烏の行水になっていた。
