「飯を食わないか」と大企業から誘いが
組織人事コンサルタントの川口雅裕氏(88年、京都大学教育学部卒業)は大学3年(86年)の秋から、企業の人事部から下宿先に頻繁に電話がかかったと明かす。
「有名な大企業から、社名をあまり聞かない企業まで1日に2~3社のペースで電話がきては、“飯を一緒に食わないか”と誘われた」
一緒に食事をすることが事実上の面接であることを知らずに、20~30社の担当者と会った。印象が強かったのが、リクルートとリクルートコスモス。リクルーターの熱心な話に惹かれ、リクルートコスモスへの入社を決めた。入社直後に、リクルート事件(88年)が起きた。90年代初めにバブル経済が崩壊し、リクルートコスモスは大規模なリストラを行い、人事部員だった川口さんは奔走することになる。
周囲の学生で外資系企業を選んだ学生は少なかったという。
「当時は89年(入社2年目)に三菱地所がニューヨークのロックフェラー・センターを買収するほど、日本企業に勢いがあった。あえて外資に行こうとは思わなかった」
この10年間は、バブル経済に目が向けられがちだが、長時間労働や女性の職場進出、さらに少子化が進み、非正規社員も増加した。採用や雇用のあり方にきしみが生じた時代でもある。
「過労死」「セクシャル・ハラスメント」などがマスメディアで取り上げられるようにもなった。
寺崎氏は、80年代の大卒の新卒採用を考えるうえで86年に施行された男女雇用機会均等法を挙げる。
「原則として男性は総合職として、女性は一部では総合職、多くは一般職として内定が出された。女性の一般職は20代で結婚などを理由に辞めるケースが多く、採用試験の時点で面接官は“結婚後も働くのか”などと尋ねていた企業もある。女性社員の採用や育成の要領を心得ていなかった」
80年代は、多くの女性は大学を卒業し、正社員として入社しても職種や職場に制約があり、短い期間の雇用であることが暗黙の了解として社内に浸透していた。その意味で、終身雇用制度の恩恵を被っていたのは、大卒の男性と総合職である一部の女性だけだった。