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平均年収ランキング(21~40位)

「4年の10月1日が就職活動解禁日だったが、その前に大企業は青田買いを行い、内々定を出していた。急いでいくつかの企業に連絡をしたが、遅かった」

当時、多くの大企業は表向きは就職協定を守ることを宣言し、解禁前に学生と接触しないとしていた。実際は“会社説明会”や“会社訪問”と称し、学生を招き、採用活動を行っていた。

戸田氏は失意のもと、留年も考えたが、総合商社や都市銀行が試験を行った。指定校である東北大学の卒業で、海外留学経験もあり、英語力が高い学生を見捨てることはしなかった。さっそく、住友銀行から内定を得た。同じゼミの学生は公務員や大手メーカー、金融などに進んだ。

入行後は、本店やヨーロッパなどの海外支店に勤務した。戸田氏は「学歴よりも、語学力を評価され、抜擢されたと思う」と語る。

「英語はできるが、仕事はできない“英語屋”と揶揄されたが、英語に磨きをかけたことで、独立ができた」

バブル期は、本店で金融商品の開発に携わった。「異常な状態になっていると感じた。一定の条件以上の土地を持つ人には、数億円まで融資をしていた。銀行員として融資をするときの基本を見失っていた」。

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上場役員・社長の割合と出身大学ベスト5

企業の採用意欲は、バブル経済の時期になると一段と高まった。中小企業では、人手が足りないために倒産するケースも相次いだ。

外国人労働者が増え始めたのもこの頃である。大企業では、優秀な学生の青田買いや内定者の拘束が広範囲で行われていた。

この10年間、大学進学率は24~27%で推移し、学生数が一気に増えることはなかった。まだ、雇用構造の変化のスピードと大学進学率の上昇にミスマッチはなく、大卒で正社員として採用されれば、それにふさわしい仕事をすることができた時代だった。