セツこそが「八雲の居場所」
しかしビスランドの結婚は、その最後の可能性を完全に閉ざした。もはや八雲には、アメリカで待つ人も、帰るべき場所もない。
いうなれば、既に40歳を迎えていた八雲だが、この時にようやく青春期の終わりを感じたのだ。中年期、当時ならば初老の年齢になっても、まだ青春? とは、いささか奇妙にみえるだろうが19世紀的にはまったくおかしくない。
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の主人公は30代になっても放浪を続けている。ヘルマン・ヘッセの小説『青春彷徨』の主人公は終盤で年老いた父親の面倒をみるために故郷に帰ることを決意するまで、タイトルどおり40歳を過ぎても青春のままで彷徨している。
八雲もまた、そうした「永遠の放浪者」だった。西インド諸島、ニューオーリンズ、そして日本……どこへ行っても根を下ろさず、次の土地へ、次の物語へと渡り歩いてきた。だがビスランドの結婚という知らせは、皮肉にも八雲を解放した。
「もう迷わなくていい」
アメリカに帰る理由も、別の土地へ旅立つ理由も、もはや何もない。目の前にいるセツこそが、自分の居場所だった。憧れの女性ビスランドではなく、日本の片田舎で出会ったこの女性が、放浪の終着点だったのだ。
八雲は「セツの実家をまるごと」引き受けた
着物姿で踊った「インディアンの戦いの踊り」は、だから歓喜の表現だった。ようやく青春が終わる。ようやく定住できる。ようやく、自分にも帰る場所ができた――その喜びを、彼は全身で表現したのである。
ただし、感情の決断と法的な決断の間には、まだ5年という時間が必要だった。セツがかけがえのない女性になったことは間違いない。
しかし、現実は二人の恋の燃え上がりだけではどうにもならない。
現に、セツと夫婦になるにあたって八雲は初っぱなから現実的な対応に追われている。それは、セツの家族をどうするか。そう、為二が耐えられなくて出奔する原因になった問題だ。実際、松江で旅館を出てセツとともに貸家で暮らすにあたっても、稲垣家からは援助を求められ西田が処理にあたっている。
その後、熊本に移る時には、実母のチエは松江に残り、八雲が月々の生活費を送ることになった。一方で、稲垣家は両親に加えて祖父まで一緒に熊本に引っ越している。
つまり八雲は、セツ一人を妻にするのではなく、稲垣家という家族システムごと引き受けることになったのだ。セツ、稲垣の祖父母、そして松江に残したチエへの仕送り……少なくとも6人分の生活を支えなければならない。恋に落ちることと、一家の家長になることは、まったく別の覚悟を必要とした。

