文京区内はさらに難航
勝どき方面への延伸が、着実に計画が進んでいる一方で、完全に無理そうなのが文京区内の区間だ。なぜなら、既に道路が存在する播磨坂通りを除き、ほとんど道路は存在しないからだ。ようは、文京区にとっては、区の東西を横断して住宅地を破壊する道路が出来てしまうという構造である。
ゆえに、文京区では行政すらも環状3号線には非協力的だ。1980年には区議会が全会一致で計画の廃止決議、以降もことあるごとに反対の意思表示が実施されている。
この反対の態度は徹底していて文京区の基本的な方針を示している『文京区マスタープラン2024』でも環状3号線は徹底的に無視。将来の都市構造を説明したページの地図でも、環状3号線は点線で入っているのみで、将来的にも完成しないので生活動線としては扱わない態度を示している。
こうした状況のため、近年では全面地下化の構想も出てくるほどだが、こちらも進展しているわけではない。リニア新幹線の工事でも地盤沈下などの問題が出てきているのに、東京の人口密集地で「地下に道路を通します」といって住民が納得するはずもない。
そうした中で唯一、完成している区間が、播磨坂通りである。ここは、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅から徒歩5分程。小石川植物園方面へ500メートルほどの、桜並木で有名な通りである。
この道路、尋ねてみると驚くはずだ。茗荷谷から小石川方面は古くからの住宅地で、戸建て住宅や低層マンションが中心のエリアである。道路も狭隘で曲がりくねっているところが多い。そうした中で、播磨坂通りだけが整備された幅員も広い、真ん中が遊歩道という独特の直線道路になっているのだ。
「完成した区間」の広すぎる幅員の謎
周囲は高そうなマンションや住宅も多いので、文京区のブルジョアのために整備されているのか……? と勘ぐってしまうが、そんなことはない。
この道路が整備されたのは、本当に偶然であった。もともと関東大震災後に計画された環状3号線は、太平洋戦争後に改めて復興街路として計画されている。この時、計画を担った石川栄耀は、街路の幅員を50〜100メートルとし、並木等含めて整備することを構想した。
ところが、この理想的な計画は実現されなかった。都市計画の研究者である越沢明によれば、その原因となったのは、当時の安井誠一郎都知事が復興計画に熱心でなかったからとされている(『東京都市計画物語』日本経済評論社 1991年)。結果、復興計画は次第に縮小され、幅員100メートルの道路は東京では実現することなく終わってしまった。ただ、文京区の小石川一帯は事業の着手が早かったために、例外的に当初の構想のままに実現してしまったのだ。
この結果、播磨坂通りは中央分離帯と植樹(桜の植樹は1959年)があり歩道が確保された、理想的な都市計画道路となったのである。そんな、利用者も少ないのに幅員だけ広い道路の活用が本格化したのは1990年代にはいってからだ。
この頃まで、播磨坂通りは花見の時期は賑わうものの、それ以外は閑散としていた。せいぜいが、休憩するドライバーのたまり場として使われる程度であった。




