挑戦の絶対量が圧倒的に足りない
創造λ:国家の挑戦密度が未来の広さを決める
「挑戦が少ない国家に未来は生まれない」
創造λ(ラームダ)とは、国家が未来へ向けて仕掛ける“挑戦の密度”である。λが高ければ、国家全体が未来へ向かって前のめりに進む。λが低ければ、どんなに優れた技術を持っていても国家は動かない。
現在の日本は、挑戦の絶対量が圧倒的に不足している。
大学には研究者がいても、挑戦の機会が少ない。
企業には技術があっても、本業が重すぎて動きが取れない。
行政には危機感があっても、仕組みが挑戦を抑制する。
国家として未来へ踏み出すには、λを国家レベルで跳ね上げる必要がある。
それはたとえば、日本版DARPA(Defense Advanced Research Projects Agency:国防高等研究計画局、米国国防総省のもとで軍事技術の研究・開発を担う機関)を本気で稼働させ、年間20~30件の国家ミッションを立ち上げることかもしれない。あるいは、若手研究者が10億円単位の資金を手にし、失敗を前提に挑戦できる研究文化をつくることかもしれない。
それはまた、大企業の本業の一部を国家戦略技術へと振り向ける、痛みを伴う意思決定であるかもしれない。
国家は挑戦の総量で未来を形づくる。
挑戦が増えれば、国家の未来は広がる。
挑戦がなければ、国家の未来は縮む。
創造λとは、未来の広がりそのものである。
必要なのは「終わらせる」意思決定
破壊:国家が自らの構造を壊さないかぎり未来は始まらない
「壊す覚悟がない国家の挑戦は、必ず途中で止まる」
創造的破壊という言葉の通り、創造は破壊から始まる。そして日本にもっとも欠けてきたのは、この「破壊の覚悟」である。
破壊すべきものは、技術ではない。国家の深層構造そのものである。
戦後日本の成功モデルは、いまや未来を妨げる壁となっている。終身雇用・年功序列・ジェネラリスト文化は、AIや量子の専門人材を世界水準で処遇する妨げとなる。
縦割り行政は、AI×宇宙×量子×防衛といった複合的領域を扱う国家戦略技術にとって、“構造的不適合”そのものである。
防衛忌避文化は、AI・宇宙・量子といった世界標準の軍民両用技術を日本だけが「封印」することを意味し、国家戦略技術の半分を自ら放棄しているようなものだ。
さらに、完璧主義の品質文化は、「まず動かし、進化させる」という技術世界の標準と根本的に矛盾する。
単年度予算主義は、核融合や量子の10年投資に耐えられない。
日本が未来に向かうには、これらの前提を「終わらせる」意思決定が必要である。
破壊とは、痛みではない。破壊とは、未来への解放である。国家は、壊すべきものを壊した分だけ前へ進む。

