政策に「根本的な矛盾」
8月、中国のある弁護士がこのプロジェクトに関する政府情報の開示を求めた申請者の文書を微信でシェア。だが中国生態環境省はこの要求(と環境影響アセスメントの開示要求)を「国家機密」に関わるとして拒否した。
この世紀のプロジェクト「メトク・ダム」は年間発電量3000億キロワット時と三峡ダムの約3倍、立地は生態学的に脆弱で政治的にも中国とインドの係争地域から約50キロしか離れていない。
ヤルツァンポ川はここでUターンしてヒマラヤ山脈を横切り、南下してインドの平原に入ってブラマプトラ川となり、バングラデシュでジャムナ川と名を変えて最後はベンガル湾に注ぐ。
四川省と雲南省の水力発電所は既に稼働中で、専門家はチベット高原上流の河川を大規模な水力発電の最後のフロンティアとみている。
ドイツのベルリン自由大学のサブリナ・ハビヒゾビガラ教授(現代中国学)は、中国政府はチベットをアジアの給水塔だけでなく中国のクリーンエネルギーのハブと見なし、チベットの河川を再生可能エネルギーの拠点に変えていると指摘。
チベットには保護区が多く、多様な生物が生息する生物多様性ホットスポットにも選定されているが、「中国の政策には根本的な矛盾」があるという。
「保護区はエネルギー開発地域と重複しがちで、大抵は生態系の脆弱性よりも国の開発計画が優先される。
中国は、チベットの生態学的環境の破壊とまではいかないにしても、開発のために環境を犠牲にすることをいとわないだろう」
中国は世界最大の炭素排出国だが、2030年までに二酸化炭素(CO2)排出量をピークアウトさせ、60年までに(CO2の排出と吸収を均衡させる)カーボン・ニュートラルを達成する構えだ。
そのために再生可能エネルギーに巨額を投じ、今後5年間でエネルギー消費量に占める非化石燃料の割合を25%にすることを目指している。
水力発電は両刃の剣
昨年のクリーンエネルギー投資額は6兆8000億元(約146兆円)と23年の6兆3000億元(約136兆円)をわずかに上回った。
国際水力発電協会によると、中国は引き続き世界の水力発電開発をリードしており、昨年の世界の新規水力発電能力の60%近くを占めている。
だが、クリーンエネルギープロジェクトは地域の環境に良いとは限らない。
10年時点で既に、香港を拠点とする環境NPOが、水力発電は「両刃の剣」で、排出量を削減する一方、ダム建設は動物や魚や鳥にとって深刻な脅威で、地元住民の強制移住にもつながると指摘している。
国際人権連盟の昨年の報告書は、チベットの水力発電ブームはチベット文明や環境、下流域の国々に「取り返しのつかないダメージ」を与え、中国の計画は「人間への影響、科学的根拠、水力発電による気候変動の深刻化を無視している」と指摘した。
インドに拠点を置くチベット政策研究所のテンパ・ギャルツェン・ザムラ副所長によれば、水力発電でグリーンエネルギーを賄うという考えは「時代遅れ」だ。
水力発電所は耐用年数が短く、生態学的・社会的代償も大きいため、もはやグリーンエネルギーとは見なされないという。
「この地域はチベット文化の聖地で、太古の森と希少種の聖域だ。ダムはこれらの森の広範囲を水没させ、野生生物の生息地を破壊し、脆弱な山地生態系を不安定にし、この地域と下流域で地滑りや洪水を増加させるだろう」
1992年、全国人民代表大会は三峡ダムの建設を承認。だが、出席者2633人中177人が反対、664人が棄権、25人がプロジェクト関連の懸念と論争を理由に無投票という異例の事態だった。
ダムの建設は、魚の幼生数の減少、魚種の変化、下流の河床浸食、貯水池による地滑りや地震の危険を招き、移住を余儀なくされた住民も100万人を超えた。
メトク・ダムの巨大プロジェクトは正式な投票を経ていないが、20年に第14次5カ年計画(21~25年)に盛り込まれた。正式に発進した今、習近平(シー・チンピン)国家主席の下で異議を唱える余地はまずない。
「三峡ダムをめぐる公の議論は、このプロジェクトに比べてはるかに幅広く、深く、そして長く続いた」とウェンは語る。「今回の計画の詳細は機密扱いのままだ」
ウェンは入手可能な情報と地元住民との会話から、メトク・ダムの計画に三峡ダムのような大規模な住民移転は含まれていないとみている。彼が話を聞いた数人の住民は、ダム建設がビジネスチャンスをもたらすと期待していた。


