「豚小屋」と呼ばれた工場からの脱却

坂口捺染は、1953年に坂口さんの祖父によって創業された老舗の町工場だ。あまり聞きなれない「捺染」という言葉は、布・生地に色や柄を染み込ませ、手作業で印刷する技法である。同社は捺染の代表的な染色技術をルーツにし、スクリーンプリント(メッシュ版にデザインを転写し、インクを押し出す方法)へと発展させてきた。

坂口捺染の本社。このほか、3つの工場と2つ倉庫がある
筆者撮影
坂口捺染の本社。このほか、3つの工場と2つ倉庫がある

坂口さんが2010年に専務に就任した当時、同社は深刻な課題を2つ抱えていた。1つは設備の老朽化だ。工場は従業員から「豚小屋」と呼ばれるほどオンボロの建物で、床は土間であり、雨が降れば濡れるような状態だった。

もう1つは、業務の偏りだ。アパレルメーカーからの下請けが中心だった当時、夏服のプリントに偏っていたため、3~5月に業務量が集中。従業員が残業で疲弊していた。一方、冬の閑散期には仕事が激減し、開店休業状態となり利益が出なかった。

「その頃は、ショッピングセンターで売られている子ども用のパジャマとかシャツを作っとった。(胸元を指し、)この辺に戦隊物のプリントをするとかね。冬の重衣料はかさばるし、そもそもオーダーが入ってこなかった。父から会社を引き継いだ時は、取引先がだんだん減って、軸となる得意先が1社だけになってた」

スクリーンプリントは、デザインの色ごとにメッシュを張った版をTシャツに固定し、インクを上からヘラを刷り込んでいく
筆者撮影
スクリーンプリントは、デザインの色ごとにメッシュを張った版をTシャツに固定し、インクを上からヘラを刷り込んでいく

あえて小口の取引先を増やす

2014年に社長に就任した坂口さんは、「これでは働き手が増えない」と考え、公庫から融資を受け、工場を新設。そして「役員ごっこ」と称する組織改革に着手した。当時10人程度の社員に対し半数にあたる5人に部長や課長といった肩書を与えた。

次に、役員と従業員を集め、原材料費やプリントの消費量などを分析する会議を週に一度実施。これにより、現場レベルで数字に対する意識が高まり、分業化や段取りの改善が進んだという。当時は1枚につき35円の加工賃ながら、工場と従業員数、生産ラインを増やして利益率をじわじわ上げていった。

さらに坂口さんは、偏っていた業務量の「平準化」にも取り組んだ。従来は、大手量販店の大量生産・格安加工賃が中心だったが、坂口さんは小口の案件を積極的に増やしていった。

きっかけは自ら全国各地に営業回りをした時だった。ある日、沖縄のお土産売り場を覗くと、イラストがプリントされたTシャツが売られているのを目にし、こう思った。

「あれ、プリント需要ってすごく豊富じゃん」

文化祭や体育祭などの学校行事で着用するTシャツ、音楽フェスやライブ、テーマパークで販売されるオリジナルTシャツ、お土産品、イベントの参加賞……。坂口さんは、プリントTシャツの需要があることに気が付く。これらを受注できれば、満遍なく工場を稼働させることができる――。