「薄利多売」を強みとする戦略

ここで一つ、疑問が生じた。他社と比べると加工賃は半分程度だ。加工賃を引き上げれば、利益率が上がってもっと儲かるのではないか。坂口さんは、なぜ薄利多売ともいえる値段設定にしているのだろうか?

「薄利多売って、商売では本来は絶対やっちゃいかんことだと思う。でも、うちは薄利多売でも利益が出せる体制が強みなんだわ。他社はジャンパー専門、トレーナー専門だったり、何かに特化してることが多いけど、うちはどんな素材の洋服でも、1枚だろうが大量ロットだろうが、全部やりますっていう体制を整えてる。今の時代では珍しいこの形態が、選ばれとる理由の一つだと思う」

他社より低い価格設定は、あえて安くしているわけではない。その背景には、年間を通した利益の追求があった。

一般的に、加工プリント事業は繁忙期と閑散期を考慮して年間60%程度の稼働率に足して加工賃を設定する。だが、坂口さんのコスト戦略は、100%の稼働率を維持することでコストを低く抑え、業界標準よりも安い単価で受注を確保してきた。

「100%の稼働率を前提とすることで、単位あたりのコストが低くなるから、結果として他と比べて安くなるよね」

同時に「種まき」も欠かさない。坂口さんは、名の知られていないアパレル企業の依頼も安価で引き受ける。その中には後にヒット商品を生み出し、急成長する企業がある。初期から付き合いがあるため他社が入る隙はない。こうした関係があるからこそ、成長した企業から利益率が80%に達する大型案件も受注できるのだという。

坂口さんはこれをサーフィンに例える。「波と一緒、って従業員にいうんやけど。うまいサーファーは次どこに、どういう波が来るか予測して、その前に立つもんで波に乗れるわけやん。商売もそれと同じ」。

ミシンが並ぶ裁縫室。休憩中に談笑するスタッフたち
筆者撮影
ミシンが並ぶ裁縫室。休憩中に談笑するスタッフたち

コロナ禍に転じた「攻めの姿勢」

売上が20倍になった背景を取材してきたが、本当にこれで全部なのだろうか。私が「まだ何かがあるように思うんですが……」と尋ねたところ、坂口さんははっとしたような顔をして「ちょっと待ってて」と言って社長室を出て行き、手帳を抱えて戻って来た。

それは専務就任時から書き込んでいる「経営者ノート」だった。中には坂口さんの努力が詰まっていた。

左ページにはそれぞれの従業員の一年間の目標が一覧であり、右ページには取り組むべき課題、月ごとと年間売上などが記録されていた。次のページを開くと、新しい年のものが丁寧に書かれてある。開くたびに従業員の数がどんどん増え、目視では読めなくなりそうなくらい細かい文字になっていった。

坂口さんの経営者ノート。左ページにはそれぞれの従業員の一年間の目標が一覧であり、右ページには取り組むべき課題、月ごとと年間売上などが記録されている
筆者撮影
坂口さんの経営者ノート。左ページにはそれぞれの従業員の一年間の目標が一覧であり、右ページには取り組むべき課題、月ごとと年間売上などが記録されている

坂口さんが専務時代の2010年の売上は1億5000万円ほど。2015年に社長になった翌年には3億8000万円に伸びている。ページを開くたびに、5億、7億と右肩上がりになっていることがわかる。

坂口さんは「うちは3、4、5月が忙しいのに、ここでドンと下がった」と言い、2020年のページを指した。

2020年――。それは、新型コロナウイルスが世界中で蔓延した年である。3月に3つ目の工場を新設したばかりだった。