2025年10月に、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト3をお送りします。歴史・教養部門の第1位は――。
▼第1位 幕末の志士や大名まで1000人の男と寝た「千人斬り」伝説をもつほど…才色兼備で大胆な深川芸者の武勇伝
▼第2位 演じるのは横浜流星なのに…ドラマが終盤に差し掛かっても「べらぼう」主人公・蔦重がイマイチパッとしないワケ
▼第3位 「愛子天皇」実現は逆に加速する…男系男子を譲らぬ高市政権が女性天皇誕生へのアクセルを踏むことになるワケ
※本稿は、平山亜佐子『戦前 エキセントリックウーマン列伝』(左右社)の一部を再編集したものです。
恋愛経験豊富で「千人斬り」だと言われた女性
「千人斬り」とは、もともと願掛けや腕試しに千人を刀で斬ることを指したが、転じて俗に千人の異性と関係することをいう。
幕末生まれの歌人、松乃門(または松野門、松の門)三艸子(または三草子)が後者の意味での「千人斬り」を行なったと知ったとき、なぜ歌人が千人斬りを? とまずは不思議に思った。調べてみると芸者でもあって、しかも勝手に芸者を名乗って個人営業をしていたというではないか。一体、そんなことができるのか? というわけで、謎多き松乃門三艸子を深堀りしてみた。
なお、女性の「千人斬り」は「千人悲願」または「千人信心」と言うとの説もあるが、なんだか湿っぽくてピンとこないので「千人斬り」とする。
本名は小川みさ。1832(天保3)年3月3日、下谷数寄屋町(現台東区上野2丁目)で貸金業を営む裕福な家に生まれる。名前は三が三つ並ぶ生年月日に由来するという。
13歳で富豪と結婚、15歳で離縁、未婚の母に
幼少の頃から容姿がよく「天稟の美貌月の如く輝き、小町娘の誉れ町々に聞こえぬ」とは、死後に編まれた『松の門三艸子歌集』の一文。そのせいか、望まれてわずか13歳で幕府御船御用達を営む深川の富豪の辻川長之助に嫁したが、夫の妾に子ができたことに怒って離縁し、1846(弘化3)年、15歳にして実家に戻る。当時、夫が妾を持つことは常識の範囲内ではあったが、みさはがまんしなかった。
その後、丸の内にあった鳥取藩池田家の奥女中として勤めるが妊娠により1年で辞す。子どもの父親は観世流能楽家の山階滝五郎だった。
二人の出会いについて、小川家が山階家のパトロンだった可能性も言われるが、実際のところは不明。1849(嘉永2)年2月、みさは未婚のまま徳次郎を出産。滝五郎の妻に子供がなかったために山階家に引き取られた。その後、徳次郎は能楽家として大成する。
この頃、みさは江戸派最後の歌人と称される井上文雄(号は柯堂)の歌塾に入る。文雄は1800(寛政12)年生まれの医師で国学者で歌人、洒脱で容姿端麗、後に門下の草野御牧と「諷歌新聞」を発行して幕府を批判した咎で明治初の発禁を受けるなど、侠気な一面もあった。モテる要素しかない。
みさは同い年のもう一人の美貌の弟子、大野定子とで「柯堂門の桜桃」と評され、歌人としても頭角を現した。


