NHK朝ドラ「ばけばけ」では、明治維新後の"サムライ"の生活苦が描かれている。江戸時代まで主役だった武士たちは、なぜ貧乏生活を強いられるようになったのか。ルポライターの昼間たかしさんが、朝ドラでは語られない史実をひもとく――。
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松江城

異様だった明治のバブル

朝ドラ「ばけばけ」(NHK)は、明治8年の島根県松江市を舞台にはじまった。トキ(子役・福地美晴)の父・司之介(岡部たかし)は、時代の変化についていけず、いまだにちょんまげのまま職にもつかず無為に過ごしている男として描かれている。

そんな、父親が発憤して始めたのがウサギの飼育。まさか明治の世にウサギのブリーダーで一山あてようと考えるヤツがいたなんて……。視聴者は度肝をぬかれただろう。

とはいえこの当時、ウサギの飼育は儲かると全国で大流行した。そんな「ウサギバブル」が生んだの悲劇にもならない喜劇の数々だった。

まず、誰もが考えるのは「なんでウサギでバブルが起こったのか?」ということだ。

これは幕末の開国の影響だ。開国後、日本にはそれまでいなかった質のよい外来種の家畜が次々と入ってきた。入ってきたとはいえ、その数は僅かだから希少種である。だから、繁殖させて転売すれば、それだけで大儲け。兎の前には豚が高騰して「五六百金」で取引されたと当時の新聞には記されている。

とにかく「外来種=質がよい」から、値が上がるはず。そんな期待が期待を呼んで小さなバブルがいくつも起こっていた。『朝日新聞』明治12年7月23日付には、こう記されている。

「最(も)う流行物には懲々(こりごり)した。己はまだ額の瘤位の事だが世には兎が流行っていると手をだして身代を潰し薔薇が流行だと聞いては醜玉買い込んで負債の海にドンブリコと沈み身を亡ぼす者も多いが、サテサテ時好は追わぬものと浮軽(うっかり)歩くと後から用件が裾に纏わるからチェえ畜生奴ウヌも流行物の一つだ」

没落した士族が"一攫千金"を夢見た

ここからも、維新直後で社会が安定しない中で、多くの人が「信じられるのは金だけ」とばかりに、あらゆる投機に手を出していたことがよくわかる。

それではウサギがバブルになったのはどういう経緯なのか。高嶋修一「明治の兎バブル」(『青山経済論集』第64巻第4号)によれば、これは明治初年に横浜ではじまったという。

当時の『横浜毎日新聞』明治6年10月24日付に掲載された記事によれば、鷲沢何某という人物が2~3年中に太陰暦が廃止になると予言、そうすると月に住む兎が生活を失い餓死するからといって、兎を買い集めて可愛がっていたところ、舶来の兎から質の良い兎が生まれ「更紗」種と名付けて大儲け、そして明治5年に太陽暦絵の切り替えが実現したことで、さらに儲けたのだという。

そこから始まった兎の価格高騰は激しかった。最盛期には、その価格が一羽あたり50円から数百円にもなったという。当時の米1石が約7円前後だったというから、いかに法外な価格であることがわかる。それでいて、兎は繁殖力が旺盛だ。育てて売れるまで、檻やら餌やら(当時の主な餌は豆腐のおから)に費用がかかっても、十分に元が取れる。