「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんと妻の暢さんはどんな夫婦だったのか。ライターの市岡ひかりさんは「やなせ本人の書籍にもあるように、長年苦労を分かち合った戦友だった。それゆえ2人の最後の別れは胸に迫るものがある」という――。
秋の園遊会に出席した、やなせたかしさん(前列右から6人目)と妻の暢さん(同5人目)=1991(平成3)年11月7日午後、東京・元赤坂の赤坂御苑
写真提供=共同通信社
秋の園遊会に出席した、やなせたかしさん(前列右から6人目)と妻の暢さん(同5人目)=1991(平成3)年11月7日午後、東京・元赤坂の赤坂御苑

「あんぱん」では描かれなかった夫婦の最後の5年間

連続テレビ小説「あんぱん」がついに最終回を迎えた。「逆転しない正義」を追い求めてきた2人が、ついに愛と献身のヒーローであるアンパンマンにたどり着いた。それでもなかなか日の目を見なかったが、最終週でついにアニメ化が実現し人気が爆発。半年にわたって、嵩(演・北村匠海)とのぶ(演・今田美桜)の物語を見守ってきた視聴者にとって感慨深いものとなった。

しかし、その分、最終週で描かれた、のぶの深刻な病にショックを受けた人も少なくないだろう。

嵩が「教えてくれない? のぶちゃんに何ができるか」と語り掛けるシーンがあったが、このセリフに史実上のやなせたかしの切なる思いが込められている。なんとか妻・のぶを笑わせたい。笑顔を見たいと、余命いくばくもない妻との時間を祈るように過ごした最後の5年間を、当時の資料からひも解きたい。

「あんぱん」に描かれたように、暢の病がわかったのも突然だった。1988年12月、暢が体調を崩し、東京女子医大で診断を受けたときには、すでにがんは全身に転移していた。医師は「奥様の生命は、長くてあと3カ月です。肝臓にもびっしりがんが転移しています。もう手の施しようがありません」とやなせに告げた。やなせは全身から血の気が引いていくのが解ったという。

藁にもすがりたいのです

思い返してみれば、気になっていたことはあった。暢が痩せてきたこと、頬にシミが増えたこと……。でも、体調が悪くてもいつも元気に乗り切っていく暢だった。やなせは当時の思いを著作『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)の中でこう語っている。「もっと早く、無理にでも病院へ連れて行くべきだった。悔やんでみても後の祭り」――。

「悪いところは全部切り取ってしまったから大丈夫」。手術後、やなせはそう言って暢を励ました。全身にがんが転移している、とはどうしても言えなかった。暢は気丈な性格だったので、真実を知ったらかえって心が折れてしまうのではないかと心配したのだ。

悲嘆に暮れていたやなせに、声をかけたのは漫画家の里中満知子だった。

「私もがんだったの。でも、丸山ワクチンを打ち続けて7年で完治しました。試してみれば」

丸山ワクチンとは皮膚結核の治療薬として開発された薬で、1976年にがん治療薬として厚生省(当時)に申請されたが「薬効を証明するデータが不十分」として5年後に却下。ただ、有償治験薬として患者への接種が認められている。

「そんなもの、水みたいなもので効きませんよ」と怪訝な顔をする医師にやなせは「藁にもすがりたいのです、お願いします」と頼み込み、暢に丸山ワクチンの皮下注射を始めた。