州ごとに、外務大臣、財務大臣がいる

ドイツは13の州(ほかにベルリン、ハンブルク、ブレーメンの3つの都市州)で構成される連邦共和国で、それぞれの州が立法権、行政権、司法権、徴税権などの「主権」を持つ。日本の47都道府県は憲法第8章によれば市町村同様に「地方公共団体」にすぎない。ドイツの州は独自の州憲法や州議会などを有する地方「政府」なのだ。州のトップに「州首相」がいて、外務大臣や財務大臣もいる。

州は財政的にも中央(連邦政府)から独立し、自己責任で財政運営しなければならないと基本法で規定されている。旧東ドイツ地域などの貧しい州との財政格差を補うために、連邦政府から州へ交付される時限立法的な交付金や州間で援助する調整交付金の制度もあるが、基本原則は州の経済的独立だ。中央が税金を集めて地方に交付金をばら撒いてきた日本の中央集権とは真逆の統治システムといえる。

壁崩壊から20年以上、ドイツの首都ベルリンは、欧州の“顔”になりつつある。(AFLO=写真)

日本は傾斜生産方式で戦後復興を果たし、高度成長期に入ってからは「国土の均衡ある発展」をスローガンに掲げて国土開発を推し進めた。足りなければ赤字国債を発行し、将来から金を借りてでも地方に金を回すようになった。田中角栄元首相の政策は当時の日本としては正しかったと思う。自力では立ち上がれない貧しい地方があったのは間違いないし、成長期のど真ん中だったから、将来から借金をしても返せるという読みもあったのだろう。田中角栄的な手法に問題があったというより、その後日本の成長が頭打ちになったにもかかわらず、同じ手法を使い続けた自民党の後継者たちの力不足で、成熟期や少子高齢化社会に対する洞察力が不足していたと言わざるをえない。

結局、乱開発によって日本全国どこに行っても同じような風景になっただけで、国土の均衡ある発展は果たせなかった。今なお東京と鹿児島の1人当たりGDPには2倍くらいの開きがあるし、沖縄はもっと差がある。

「日本で政権交代がうまくいかない本当の理由」(>>記事はこちら)で述べたように、地元への利益誘導で票を買う自民党の集票システムだけが定着して、国の赤字は膨らむばかり。地方は地方で交付金や補助金頼みで自助努力せず、法律上も自助努力をするための仕掛けを持たない。自立なき地方は自立のない企業、自立のない個人を生む。分配に与ろうとする“たかり体質”が高齢化とともに膠のように固まって変革を阻む重い足枷になってしまっているのだ。

一方のドイツは先述のアメリカ型の連邦制を取り入れたことが今日の繁栄につながっている。つまり、国がこけても州はこけない仕組みができているのだ。ドイツの州は北欧諸国のような大きさで、ほとんど国家のように外部からヒト・カネ・モノを集めてくる。また地場企業の海外移転の手伝いもするが空洞化阻止のためにさまざまな法的工夫を凝らしている。残念ながら中央集権が強すぎる日本には地方に自立を促す仕掛けがない。

実際、ドイツでは経済的に“ダメな州”ほど魅力が出てくる。ダメな州は失業率が高く、賃金も安いから、ドイツに進出する外国企業は1番ダメな州に行くのである。アダム・スミスが国富論でいうところの「神の見えざる手」が働く仕掛けになっていて、10年単位で見るとドイツの豊かな地域は次第に、南の州へと移ってきている。