天皇制と官僚制度は生き残った
統治機構の違いが日本とドイツの今日的な差異につながるのだが、同じ占領下にあってなぜこのような違いが生じたのか。
ドイツの占領軍は「ナチスの恐ろしさ」を骨の髄までわかっていたから、アメリカ型の連邦制という統治システムのタガをはめた。日本の占領軍も軍部独裁と全体主義の恐ろしさは理解していたが、江戸時代から続いて日本の隅々まで根付いていた中央集権体制の危険性までは理解が及ばなかった。これは私の推測だが、日本の統治システムをどうするかという議論を始めたときに、憲法草案を作成していた駐留軍は日和ったのではないかと思う。天皇を戦犯として処分し、天皇制を排除すれば「日本人は執拗に抵抗して占領統治が不可能になる」という恐怖から天皇制を残したのだ。
しかし、「人間は生まれながらにして自由で平等な権利を持つ」というフランス人権宣言やアメリカの独立宣言を参考につくられた日本の憲法に、天皇制はなじまない。論理体系上、書き入れる余地がないということで、憲法の冒頭、第1章第1条に「象徴天皇」を置いたのだ。
結局、最大官庁だった内務省こそ解体されたものの、天皇制と官僚制度はそのまま生き残り、日本の中央集権的な統治機構は維持された。私個人は連邦制と統合の象徴としての天皇制はまったく矛盾するものではないと考えているが、リパブリック(共和国制)かボナパルティズム(帝制)かで長く論争してきた当時の憲法学者の間では共和国(連邦制)と天皇制は相容れない、というのが常識だった。
それが占領下の日本で連邦制が導入されなかった理由であり、中央以外には「政府」がない、という今日的には不幸な、しかし戦後の発展期にはとても効率がよかった、統治形態の起源ではないか、と私は考えている。