「看取りもAIがやる」のは冒涜か
AIが医療をどこまで担うのか。私は「全部」だと思っています。
ここでいう「医療」そして「医療の全部」は、皆さんの感覚よりも広いものだと思います。人生後半の医療との関わりが増えてくるすべてのシーンを含むのです。
そして、その医療という言葉も、私たちが想像できるすべての範囲を広く含みます。予防から、最期の日まで。当然、看取りも入ってくることになります。
「看取りもAIがやる」──そう聞いたときに感じること。いかがでしょうか? 嫌悪感を覚えますか? それとも恐怖? 冒瀆だと感じるでしょうか? あるいは、もはや当たり前のことだと受け止めるでしょうか? 皆さんのそれぞれの思いは、至極当然であると思います。私自身もこの問いに対し、直截な正解を持っているわけではありません。
そもそも、人にできることとAIができることの境目はどこにあるのでしょうか。
このテーゼに答えるため、私はさまざまな書籍やメディアでこれまでも話してきました。そして、ひとつのまとまった考え、すなわち人間医師が最後まで牙城を譲らない領域、いってみれば「最後の砦」と呼べるものは、「患者さんへの寄り添い」「人への寄り添い」だと信じてきました。その思いはいまも変わっていません。
ますます加速する医療現場のAI化
しかし、AIが長足に進化してきたいまこそ、その「寄り添い」という行為を、もっと細かい要素に分解し、その本質を理解していく必要があります。そしてそれこそが、「AIが人を看取ってよいのか」という本質的な問いへの答えとなるはずなのです。
なんでもAI化という流れは、人間社会が織りなすすべての領域において、今後ますます加速するでしょう。そして医療でも。膨大な医療データを習得したAIは、人間医師を凌駕する診断精度を誇り、患者さん一人ひとりに最適な治療計画を瞬時に立案します。創薬のプロセスは劇的に短縮されます。個人の遺伝子情報に基づいて行われる「精密医療」もAIの力なくしては語れません。
その結果、従来の人間医師が担ってきた多くの役割は、AIによって代替され、あるいはAIに支援されることで、その専門性と守備範囲が本質的な変貌を遂げ、人間のみで完結する行為は限定されていくことになるでしょう。
これまで私たちは「人間の医師にしかできないこと」として、患者さんの感情に「寄り添う」ことや、人生の最終段階においてその命を穏やかに見送る「看取り」を挙げてきました。これらの行為は、論理的な思考やデータ分析だけでは代替できない、共感や倫理観、そして深い人間理解を要する「聖域」であると信じてきたはずです。

