宿澤さんは、常務になって大阪へ転じるとき、市場営業統括部長の後任に推薦してくれたらしい。大阪から戻り、取引先の問題解決を支援するコーポレートアドバイザリー本部の本部長だった06年6月17日の土曜日、群馬県の赤城山に登っていて心筋梗塞に襲われ、55歳で亡くなった。悔しすぎる早世だった。

その週のことは、明瞭に覚えている。1週間前の6月10日、偶然、自分も赤城山に登った。ヤマツツジやレンゲツツジ、アカヤシオ、シロヤシオなどがきれいに咲きこぼれる時期で、赤城山で亡くなったと聞いたとき、その光景が目に浮かぶ。そして、思い出す。12日の月曜日、宿澤さんがふらっとやってきて「コーヒーを飲ませてくれ」と言った。珍しく「けっこう、仕事がきつい」とぼやく。後で聞くと、金曜日の深夜に帰宅し、翌朝早く登山に出かけていた。自分は月曜日に会った後、シンガポールへ出張し、18日の夕方に成田に着いて電車に乗っていたら、電話で訃報が届いた。

早世した戦友は、よく「ビジネスとスポーツは同じだ」と口にした。どちらも、ルールを守ることが必須で、勝たないと意味がない、との指摘だ。「勝つことのみが善である」とも語っていた。

「結果へのこだわり」――宿澤流から吸収する点は、多かった。

2011年4月、三井住友フィナンシャルグループの社長に就任し、経営者として事業の選別や組み合わせを考え抜く日々だ。これは、市場営業と似ている点が多い。自分が想定した論理も、状況次第であっさり捨てる勇気が、欠かせない。「見可而進」も「知難而退」にも、高度な情報とともに、速い判断が必要だ。

そう言えば、いま、海外のメガバンクや投資銀行のトップをみると、市場部門の出身者がそろっている。日本ではまだ珍しいが、そういう時代なのだろうか。宿澤さんが健在だったらどう言うか、聞いてみたい。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
【関連記事】
悪い情報を愛する人は絶対、手放せない -三井住友FG社長 宮田孝一氏
【1】「新・日本型金融道」で世界を制す
三井住友フィナンシャルグループ会長 奥 正之 -乾坤一擲の買収で「三井住友証券」誕生なるか
“異次元”緩和でメガバンクが減益見込むワケ
アベノミクスで日本は復活するか【1】