現在50代の女性は15歳の時に父親が病死し、十数年前に兄が急逝した。母親は70代に入ると物忘れが激しくなり、その後、認知症に。結婚して2人の子供を育てている女性は、車で片道2時間の距離を週1〜2回通って介護を始めるが――。(前編/全2回)
窓辺に座り込んで外をみている少女
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

厳しい父親と理不尽な母親

中部地方在住の増田十和子さん(仮名・50代)の両親は、父親が21歳、母親が23歳の頃に結婚。母親が24歳の時に兄が、29歳の時に増田さんが、30歳の時に弟が生まれた。

「陶器の絵の具を作る仕事をしていた父の教育は、鉄拳でした。優しいところもありましたが、自分にも他人にも厳しい人で、父には皆、尊敬と畏怖があったと思います。母は『子どもは親の言うことを聞いて当たり前』と考えている割に、自分がいろいろ施してやりたい気持ちも強い人で、私たち子どもからしたら母の気分次第でその日の明暗が分かれるような日々でした。

兄は父に似て『体罰でわからせようとする』ところがあり、中学生くらいまではもめるとよく殴られましたが、とてもナイーブで優しい面もあり、母が理不尽なことを言うときなどはよくかばってくれました。弟はいつも一歩引いているようなところがあり、家族の中で議論が始まると黙っているタイプでした。弟は何もしなくても母に可愛がられていたので、私は嫉妬して、よく弟をいじめていました」

寡黙な父親は、言葉よりも先に手が出た。そしてなぜ殴られたのか、父親からの答え合わせはなかった。増田さんは何がいけなかったのか、痛みに泣きながら自分で考えなければならなかった。

たいてい母親に「なんで殴られたかわかる?」と当然のように聞かれたが、子ども心に増田さんは、「お母さんは、私がお父さんに殴られて当然だと思ってるんだ」と思い、二重に傷ついた。

「正解が答えられないと、母から、『あんたはかわいそうな子だね、そんなこともわからないの?』となじられ、さらに暗い気持ちになったことは今でも忘れられません。当時は殴られた衝撃で頭がいっぱいで、自分の間違いに自分で気づいて反省したことはほとんどなかったのではないかと思います。父にも母にも正解を教えてもらえず、分からないことだらけで、自分はバカなんだと思っていましたし、『私はこう思っていたのに』『私のことはわかってもらえない』という悲しい気持ちばかりが膨れ上がっていました」

増田さんは小学校の高学年になると、母親には必要最低限のこと以外は話さないように努めた。

「母に何か相談すると、必ず否定され、過去のことを持ち出して責めてきて、反論すると言い争いになるため、避けるようになっていました。信じられないことですが、母は本気で私の悪いところを直してくれようとして言っていたようですが、さすがに父や兄も、『その言い方では伝わらないよ』と間に入ってくれたことも度々ありました。『女の子だから』と言って、兄と弟とは別の当たられ方をされたことも、ずっと理不尽だと思っていました」

中学生になると、母親に対する嫌悪感が強くなっていった。