しかし次の石橋山の戦いに敗れ、すぐに敗走。千葉県へ逃げていきます。当時の千葉県は、上総・下総・安房に分かれていました。

頼朝が安房に逃れた時、上総広常という、名前からして地元の実力者が、二万と言われる兵を連れてやってきます。「俺がいなけりゃ頼朝なんかはやってられんだろう」とばかりにナメた態度で遅刻してきます。その広常に頼朝は「来るのが遅い」と思いっきり叱責します。広常は平伏、関東の武士が頼朝の下に集まってきます。

「貴種」という特別な存在

と、かなり眉唾な話が残っています。『吾妻鏡』は北条氏の正統性を証明する歴史書なので、鎌倉幕府を築いた頼朝を持ち上げつつ、ちょくちょくと「問題があった人物なので、源氏は滅んだ」と小ネタを差し込んでいますので、読み方に注意が必要です。

ただ、「頼朝は武勇に優れてなかったけど、貴種として特別な存在だから、関東の武士たちが従った」という点は、誰もが疑問に思わないストーリーなのは理解できましょう。

これを権門体制論に言わせれば「頼朝は関東の武士たちと隔絶した存在」であり、東国国家論に言わせれば「貴種ならば頼朝や源氏でなければ誰でもいい」と真っ向から対立します。

ただ大前提は、頼朝だろうが源氏だろうが他の誰であろうが、「上に仰ぐのは高貴な身分の存在でなければならない」は関東の武士たちの合意です。「貴い種」と書いて、貴種。貴さの根源は、天皇です。

武士は武力によって生きていますから、本当は自分より弱い奴の言うことなどは聞きたくありません。しかし、朝廷に任せておくと自分たちの土地がどうなるかわからないので、守ってくれる人物、親分が欲しい、という現実がありました。

そこで、親分にふさわしい人物とはどんな人物なのか? ということになります。「貴種」は、関東の武士がどうしても乗り越えることのできない壁でした。個人的力量とは関係のないところにあるのが貴種です。頼朝にはそれがありました。

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アメリカ独立革命との共通点

なぜ頼朝は貴種なのか。ご先祖様が天皇だからです。頼朝は、清和天皇(在位八五八~七六年)の十一代目です。そもそも源とは「皇室に起源を持つ一族」です。

急に話を飛ばします。頼朝革命は、アメリカ独立革命(一七七五~八三年)の先駆けでもあります。

通説当時のイギリス国王ジョージ三世は、議会に代表を送る権利を認めないのに、アメリカ植民地に増税を課してきた。そこでジョージ・ワシントンら植民地の人々は武器を持って立ち上がり、戦って勝って独立を勝ち取り、アメリカ合衆国を建国した。

これが歴史的事実かどうかは、不滅の名著『嘘だらけの日米近現代史』をどうぞ。ただ、アメリカ建国の建前であるのは間違いありません。この思想はDemocracy with a Gunなどと表現されます。だから、アメリカではいまだに銃規制ができないのです。