外部からの評価は「みだらな国」「感激した」
もちろん、内部の人たちにとって、これは世代を超えて続いてきた家族の生活であり、まったく驚くようなことではなかった。
だが、ヨーロッパから来た人たちは、ケララのナヤール族に出会って驚愕した。目の前の現実に驚いたというだけでなく、彼らが「普通」だと思っていた社会がひっくり返るかもしれないという創造的な可能性に、強い興味を抱いたのだった。
だが、ジャワハルラール・ネルー大学の女性学の研究者であり、ケララ歴史研究評議会の理事であるG・アルニマによると、憤慨した人もいたという。17世紀に、あるオランダ人旅行者は、ナヤールを「すべての東洋諸国のなかで最も好色でみだらな国」と書いている。
一方で、感激した人もいた。18世紀の末頃に、イギリスの若い小説家で奴隷所有者の息子だったジェームズ・ヘンリー・ローレンスは、『ナヤールの帝国(The Empire of the Nairs)』という恋愛小説を出版した。そして、ケララの例を挙げて、ヨーロッパの女性たちにも高い教育を受けさせ、複数の恋人を認めるべきだと主張した。結婚制度の廃止も訴えた。
学者たちが頭をひねった「母系の謎」
しかし、どちらの反応を取ろうとも、外部の人たちはたいていナヤール族を変わった人々とみなし、父系制こそが普通の生き方だという考えを示した。母系社会は「野蛮」で「不自然」だと言われた。解明しなければならない存在だった。
今日でも、欧米の研究者は、戸惑いと驚きが入り交じった気持ちで母系制を論じている。最近の人類学の論文にも、母系制は矛盾であり、本質的に不安定な状態だと書かれている。
ケララのナヤール族のような社会を研究する学者たちは、70年ものあいだ、「母系の謎」という言葉を使ってきた。なぜ父親は自分の子どもではなく、甥や姪の世話に時間とエネルギーを注ぐのか。なぜ夫である男性は、自分の子どもや妻に対して義理の兄が影響力をもつのを許すのか。なぜ男たちは何世紀ものあいだ、変化を起こそうともせず我慢できたのか。