インドITを育てたのは2000年問題だった

インドの勢いが止まらない。国際通貨基金(IMF)の推計によると、インドの名目GDPは2025年に4兆3398億ドルになり、これで4兆3103億ドルの日本を抜いて世界4位に浮上。さらに2年後には現在3位のドイツも抜く見込みだ。

黒板のインディアンフラグ
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インドの驚異的な成長のきっかけは1990年代、アメリカで広がったBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)のオフショア化である。アメリカの大手通信会社ベルサウス(のちにAT&Tが買収)は、コールセンターを人件費の安いインドに移した。アメリカの消費者が電話するとインドに転送され、システムの遠隔操作で対応する。こうしたBPOサービスで成長したのが財閥系のタタ・コンサルタンシー・サービシズだった。

続いてやってきた、2000年問題――99年の次の00年を、システムが1900年と認識して誤作動する問題――に対応するためSIer業界が活況を呈して、インドにも発注が殺到。このときにインフォシスやウイプロ、サティヤムといったIT企業が雨後の筍のごとく台頭した。

2000年問題収束後、案件が激減したものの、IT各社はアメリカに営業拠点をつくって優秀なインド人を大量に送り込んだ。営業活動を強化して反動を乗り越えたのだ。

インドは高等教育に力を入れている。全土にIIT(インド工科大学)が23校、IIM(インド経営大学院)が13校ある。アメリカに送り込まれたのは、これらの教育機関で学んだエンジニアや経営人材たち。アメリカ企業も彼らを次々に引き抜いた。このとき就職・転職したインド人は、今や世界的企業の中枢にいる。マイクロソフトのサティア・ナデラCEOや、ペプシコを率いたインディラ・ヌーイ元CEOも、インドで高等教育を受けた人材だ。

渡米しなかった人材も優秀だった。ビル・ゲイツは早くからインドに目をつけて、ハイデラバードに開発拠点を置いていた。バンガロールやプネーにもエンジニアが多い。この3都市がインドのIT産業を牽引していった(注:私がプレジデント社で初刊を出した『企業参謀』の英語版“THE MIND of the STRATEGIST”が世界でいちばん売れているのもインドだ。ほとんどの経営者が読んでいるだけではなく海賊版も広く学生たちに愛読されている!)。

17年にドナルド・トランプが米大統領に就任したことも結果的に追い風になった。アメリカ人の雇用を守るために、トランプが非移民就労ビザの発行を停止した。その影響でシリコンバレーで活躍していたエンジニアが続々と帰国し、起業ブームが起きたのだ。インドは伝統的に財閥系が強いが、近年はスタートアップが増え、ユニコーン企業(企業価値評価額10億ドル以上、かつ創業から10年以内の未上場ベンチャー企業)数も世界第3位となっている。

インドは人件費の安さを入り口にして、グローバルでIT産業隆盛の波をつかまえて成長した。中国もインドと同じように成長し、今ではIT力も高めたが、インドには英語力という強みがある。日本やドイツを抜いた勢いで中国に迫るのも、時間の問題だ。