かつてインドに女性が実権を握った社会があった。南部ケララ州のナヤール族では、息子よりも娘が大切にされ、女性は複数の男性と性的な関係をもつ自由があった。その部族はいまどうなったのか。科学ジャーナリストのアンジェラ・サイニーさんの著書『家父長制の起源』(集英社シリーズ・コモン)の一部を紹介する――。

インド、ケララ州の「他とは違うところ」

1968年7月のモンスーンが吹く朝、ロビン・ジェフリーは、インドのケララ州をバスで旅していた。現在はインドの現代史と政治学を専門に研究するジェフリーは、当時はインド北部のパンジャブ州で、教師として働いていた。

ケララの気候は湿度が高く、しばらくすると、バスの車内は蒸し風呂のような暑さになった。そこで、彼は最初のバス停で、換気をしようと窓の防水カーテンを開けた。

インドのケララ
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ふと気づくと、数メートル先のベランダで、白い服を着た老女が、汗もかかずに気持ちよさそうに座っている。彼女は分厚い眼鏡をかけて、何かを熱心に覗き込んでいる。片方の脚に立てかけた朝刊を読んでいるのがわかった。

その瞬間のことは非常に印象的だったので、今でもよく覚えているという。「心にしっかり焼きついています」とジェフリーは言った。彼にとって、少なくともパンジャブ州では、人前で現地語の新聞を読んでいる人を見かけるのは珍しかった。

女性が一人で出歩くことができ、識字率も高い

インド全土の識字率は、当時の世界の多くの国々と同じく低く、女性の識字率はさらに低かった。老眼鏡をもっている人はめったにいなかった。ところが、この女性はのんびりと新聞を読んでいた。

「想像もしない光景だったので、今でも絵のように鮮やかに思い浮かびます」とジェフリーは語ってくれた。

インドの成人の識字率は、現在では人口のほぼ4分の3と、当時と比べてはるかに高いものの、多くの州では依然として男女格差が目立つ。だがケララでは、記録で見るかぎり、女性の識字率は男性とほぼ同じだ。現在は95パーセントを超えている。

草木に覆われたインド南西部の海岸沿いにあるケララ州は、女性が一人で出かけたり、比較的安全に心配なく通りを歩いたりできることで有名だ。

これは決してささいなことではない。私は活気に満ちた、埃っぽい首都ニューデリーのインド系時事雑誌社で初めて職に就いたとき、夜は友人や親戚と一緒でなければ外出すべきではないとすぐに学んだ。女性や少女に対してあからさまな蔑視の態度が見られ、それに対して、女性は現実的な対策を取るしかなかったからだ。

一方で、ケララは、男女の役割が逆転し、昔から女性が支配権を握り、息子よりも娘が大切にされる場所として、伝説のように語られていた。