インターネットの普及で民主主義は劣化した

そもそも、先進国に民主主義国家が多い理由の一つは、間違ったことをやっていられる余裕があるからです。間違うことができない国は、独裁政治で効率よく運営していくしかありません。

つまり、民主主義というのは、「もしできたらいいよね」という理想ではあったとしても、国の運営という面からすると大きな問題を抱えているとも考えられます。

民主主義の問題点が明らかになっていく過程においては、インターネットの普及は大きな意味を持ちました。民主主義の進んだ国ほど、インターネット産業が早くから興っています。こうした便利な情報網ができることで、民主主義の劣化が早まったと僕は考えています。

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昭和の時代の学生運動は、学生同士の噂話や学生新聞などによって情報が広まりました。それには一定の時間が必要だったし、ある種の抑制が利いたわけです。しかし、ネット上で瞬時に多くの人に情報がわたることで、集団化が簡単に起きるようになりました。しかも、そこには深く考えない人がたくさん集まっているから、暴走も簡単に起きてしまいます。

人々がさまざまな情報を手にできることは、たしかに大切なことではありますが、民主主義を劣化させる一因であることは否定できません。

国民が劣化しているから、政治も劣化する

さらに民主主義が進めば、「みんなで決めた政治家と政党がやることは正しい」というところに行き着きます。その結果、政治が機能しなくなって国が没落していく。僕たちは今、先進国のそうしたリスクを目の当たりにしている気がします。

実際に、日本では、10年以上政権をとり続けている自民党のやりたい放題が続いています。たとえば、亡くなった安倍晋三元首相の国葬決定に関して。僕個人は国葬に対して、暗殺された元首相を静かに送り出すぐらいはしてもいいと考えている「消極的賛成派」でしたが、あの決め方にはまったく賛同できません。

国葬を内閣だけで決めるのは法的に正しい判断だったのかについて、きちんと検証すべきだし、今後のために国葬に関する法的整備を進めるべきでしょう。そうしたことができるのが、正しい民主主義だと思っています。しかし、現実的にはそうなっていません。

これは、自民党だけの責任ではありません。民主主義というものに対して、国民一人ひとりの意識が劣化していることこそ大問題なのです。国葬に反対してデモに参加していた人たちは、その多くが便乗して騒ぎたいだけ。騒ぐだけ騒いだらスッキリしておしまいです。これで政権をにぎる政党を動かせるはずがありません。