米の植民地主義を象徴する歌手

スポーツだけではなく、近年エンターテインメント・シーンでは、アジアの波がもはや見逃すことのできない現象として「可視化」されている。

数多のアーティストの中でも、2024年もっとも頻繁に耳にしたアジア系のミュージシャンこそブルーノ・マーズだった。

彼を「アジア系」と評することに首をかしげる読者もいるかもしれない。しかしラジオ局はこぞって「アジア系」のミュージシャンとしてブルーノ・マーズを紹介していた。

ブルーノ・マーズ(本名:ピーター・ジーン・ヘルナンデス)はプエルト・リコ系ユダヤ人の父とフィリピン人の母の間にハワイで生まれた出自を持つ。

24Kマジック・ワールド・ツアーでライブを行ったブルーノ・マーズ(写真=slgckgc/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

前述の大和田俊之著『アメリカ音楽の新しい地図』(筑摩書房、2021年)では、このブルーノ・マーズというポップスターを通して、アメリカの歴史を再考察している点で興味深い。

1893年、アメリカは西海岸の安全保障や捕鯨基地確保を目論み、ハワイ王朝を廃止させ、のちに併合した。さらには1898年にスペインと米西戦争を行い、旧スペイン領のプエルト・リコを保護国としカリブ海地域への影響力を強めると、太平洋でもフィリピンとグアムを領有した。

著書の中で大和田は言う。

「ブルックリン出身のプエルトリコ系ユダヤ人の父親とフィリピン出身の母親を持ち、ハワイで生まれ育ったブルーノ・マーズは、その意味で19世紀末のアメリカ帝国主義、とりわけその植民地主義の痕跡を文字通り体現する存在だと言えるのだ。」

はじまりはエルヴィスのモノマネ

孤立主義を転換させ、植民地主義へと転じた19世紀末のアメリカの外交政策。ブルーノ・マーズという存在を、その「産物」と見る視点は合点がいく。

そして、そんなブルーノ・マーズが最初に脚光を浴びたのがエルヴィス・プレスリーのモノマネだったことは示唆にとむ。幼少期、エルヴィスの曲を完璧に歌いこなす少年として地元のテレビにも特集されている。

黒人由来のリズム&ブルースを白人として歌うことで、白人マーケットにクロスオーバーさせ「ロックンロールの王様」となったエルヴィス。しかし、それらが黒人文化の「搾取」だという批判的文脈も目にする。

その意味で、ブルーノ・マーズのキャリアが、大和田の言う「宗主国のアイコン」エルヴィスの模倣でスタートしている点はおもしろい。

ご存じの通り、その後のブルーノ・マーズの音楽性はより「黒く」展開していくことになる。とりわけ3作目のアルバム『24K Magic』ではR&B色を全面に押し出し、1990年代のニュージャック・スウィングの要素を盛り込み、グラミーでは最優秀アルバム賞を獲得している。

2021年にリリースされたアンダーソン・パーク(母が韓国出身)とのデュオ・シルクソニックでの『Leave The Door Open』でも意識的に1970年代のフィリー・ソウルを思わせる甘いボーカル・スタイルをある種パロディ要素を含めて表現している。